カンプ・ノウで試合が始まる少し前、スタジアム全体が同じ歌を歌いはじめる瞬間がある。
それが「Cant del Barça(カント・デル・バルサ)」——FCバルセロナの公式クラブ歌だ。日本のファンのあいだでは「イムノ」と呼ばれることのほうが多いかもしれない。
この記事では、まぎらわしい呼び方の整理から始めて、この歌がいつ・誰によって・何のために作られたのか、そしてなぜカタルーニャ語で歌われるのかまでを解説する。
※歌詞について
歌詞は著作物のため、本記事ではクラブ歌・チャントを問わず、原文・日本語訳・意訳を含め一切掲載していません。歌詞をお探しの方はFCバルセロナ公式サイトのアンセム紹介ページをご覧ください(公式に公開されています)。
イムノ? アンセム? 呼び方を整理する
この歌には呼び名がいくつもあって、初めて調べる人はまず混乱する。先に整理しておこう。
| 呼び方 | 正体 | 言語 | メモ |
|---|---|---|---|
| Cant del Barça (カント・デル・バルサ) | 曲の正式タイトル | カタルーニャ語 | 「バルサの歌」という意味。クラブ公式もこの名称を使う |
| イムノ(Himno) | 「賛歌」という一般名詞 | スペイン語 | 日本で最も浸透している呼び方 |
| イムネ(Himne) | 同じく「賛歌」 | カタルーニャ語 | カタルーニャ語圏ではこちら |
| アンセム(anthem) | 同じく「賛歌」 | 英語 | 日本語メディアでも使われる |
| チャント | サポーターが歌う応援歌 | 英語 chant | イムノとは別物(後述) |
なぜ「ヒムノ」ではなく「イムノ」なのか
スペイン語には語頭のhを発音しないというルールがある。だからHimno は「ヒムノ」ではなく「イムノ」と読む。
同じ理由で、カタルーニャ語のHimneも「イムネ」。日本語の資料で表記が割れているのを見かけたら、この違いが原因だと思ってほぼ間違いない。
大事なのは「イムノは曲名ではない」ということ
ここが一番のポイントだ。「イムノ」は曲のタイトルではなく、「クラブの賛歌」という意味の普通名詞である。
日本語で言えば「校歌」や「社歌」に近い。だからスペイン語圏では、レアル・マドリードの歌も他クラブの歌も同じく「himno」と呼ばれる。バルサの歌を特定して指す名前が「Cant del Barça」というわけだ。
それでも日本で「イムノ」が定着したのは、単純に短くて言いやすいのと、日本のサッカーメディアがこの表記を使ってきたことが大きいだろう。
バルカぼくも長いこと「イムノ」が曲名だと思ってた。校歌みたいな一般名詞だって知ったとき、ちょっと恥ずかしかったな。でも通じるからいいんだよ、こういうのは。
イムノとチャントは何が違うのか
もうひとつ混同されやすいのが「チャント」だ。どちらもスタジアムで歌われるが、性格はまったく違う。
| イムノ(クラブ歌) | チャント(応援歌) | |
|---|---|---|
| 作ったのは | クラブ(公式に制作を依頼) | サポーター(自然発生が多い) |
| 曲数 | 基本は1曲 | いくつもある。増えたり消えたりする |
| 歌うタイミング | キックオフ直前など決まった場面 | 試合中ずっと。展開に応じて |
| 誰が始めるか | 場内音響に合わせて全員で | 応援席のグループが主導し、周囲が続く |
| 公式性 | クラブの公式な象徴 | 公式ではない。ファンの文化 |
| 変わるか | 1974年からずっと同じ | 時代とともに入れ替わる |
わかりやすく言えば、イムノは「校歌」、チャントは「応援団のコール」だ。校歌は式典で全員が同じものを歌うが、応援は状況に応じていろいろな声が飛ぶ。



中継だとイムノしか聞こえないことも多いけど、現地は試合中ずっと何かしら歌ってる。あの層の厚さは、テレビだと絶対に伝わらない部分だと思う。
チャントを主導する「応援席」
カンプ・ノウには応援を主導する専用エリアがある。グラダ・ダニマシオ(応援席)と呼ばれるもので、ゴール裏に座席が確保されている。
この仕組みができたのは2016年。2010年の会長選での公約が発端で、実現までに時間がかかった。下層のゴール裏に1,300席が割り当てられている。
現在この応援席を構成しているのはアルモガベルス、ノストラ・アンセーニャ、フロント532、サポーターズ・バルサという4つのペーニャ(サポーター団体)だ。参加者は毎年、名簿を地元警察へ提出することになっている。
2024年11月には一度この応援席が閉鎖された時期があり、その後スポティファイ・カンプ・ノウへの復帰にあわせて再編された。運営を専門の外部企業に委ねる方式へ移行する動きも報じられている。
※応援席の運営体制は変更が続いている領域です。本記事の記述は2026年8月時点で確認できた内容にもとづきます。
17分14秒に起こること
カンプ・ノウのチャント文化で、最も特徴的で、最も説明が必要なのがこれだ。
試合開始から17分14秒が経過すると、スタジアム全体からカタルーニャの独立を求めるコールが上がる。前半だけでなく、後半の同じタイミングでも起こる。
数字の由来は1714年。この年、スペイン継承戦争でバルセロナが陥落し、カタルーニャは自治の制度を失った。9月11日がその日で、現在はカタルーニャの祝日(ラ・ディアーダ)になっている。
つまり「17:14」は時計の数字であると同時に、年号でもある。試合時間を使って歴史を思い出すという、他ではあまり見ない形式だ。



初めてこれを知ったとき、鳥肌が立った。時計が17分14秒になった瞬間にスタジアムが動くんだよ。サッカーの時間の中に歴史が埋め込まれてるって、すごい発明だと思う。
※本記事はカタルーニャの独立問題について特定の立場を取るものではありません。カンプ・ノウで実際に見られる文化的な現象として記述しています。
そのほかによく歌われるもの
具体的な曲名を挙げると、近年よく歌われているチャントに「Un dia de partit(試合の日)」がある。カタルーニャ語のチャントだ。
そのほか、こうした場面でチャントが起こる。
- ゴールが決まった直後——得点者の名前を繰り返すコール
- 相手に押し込まれている時間帯——チームを押し上げるための連呼
- 特定の選手への声援——若手のデビューや、復帰した選手が入る場面
- クラシコなど特別な試合——その日限りのものが生まれることもある
※チャントの歌詞は本記事では掲載していません。現地の音は、公式チャンネルの試合ハイライトやスタジアムツアーの映像で雰囲気をつかむのがおすすめです。
いつ、誰が作ったのか
「Cant del Barça」が生まれたのは1974年。クラブ創設75周年を記念して作られた。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 制作年 | 1974年(クラブ創設75周年) |
| 作詞 | ジャウマ・ピカス/ジョゼップ・マリア・エスピナス |
| 作曲 | マヌエル・バルス・ゴリナ |
| 初披露 | 1974年11月27日/カンプ・ノウ |
| そのときの試合 | 対 東ドイツ代表(親善試合) |
| 歌ったのは | カタルーニャの78の合唱団から集まった3,500人 |
| 指揮 | オリオル・マルトゥレイ |
依頼したのは当時のアグスティ・モンタル会長だ。1957年のカンプ・ノウ開場時に披露された旧来の歌に代わるものとして、新しいクラブ歌が求められていた。
そして初披露の日、ピッチに3,500人が並んで歌った。この模様はスペインの国営テレビで生中継されている。反応は上々で、この歌は一気にクラブの象徴として定着した。



3,500人だよ。しかもカタルーニャ中の78団体から集まった合唱団。サッカーの試合前に、そんなことをやったクラブが他にあるだろうか。
じつは5代目:1974年より前のクラブ歌
意外に知られていないが、「Cant del Barça」はバルサにとって最初のクラブ歌ではない。1974年より前に、少なくとも4つのクラブ歌が作られている。
| 年 | 曲名 | 作詞 | 作曲 | できごと |
|---|---|---|---|---|
| 1910年7月17日 | (最初のクラブ歌) | — | ジョゼ・アントニオ・ロデイロ・ピニェロス | 軍楽隊長による作曲。トップチーム対控えチームの試合で披露 |
| 1923年2月18日 | — | ラファエル・フォルク・イ・カプデビラ | エンリック・モレラ | 旧レス・コルツで合唱団オルフェオ・グラシエンクが初演。ガンペールへの敬意を込めた催しの一環 |
| 1949年 | Barcelona, sempre amunt! | エステベ・カルサダ | ジョアン・ドトラス | 創設50周年を記念 |
| 1957年 | Himne a l’Estadi | ジョゼップ・バディア | — | カンプ・ノウ開場を記念 |
| 1974年 | Cant del Barça | ピカス/エスピナス | バルス | 創設75周年。現在のクラブ歌 |
つまり「Cant del Barça」は5代目にあたる。そして興味深いのは、この5代目があまりに定着したせいで、1923年・1949年・1957年の歌は忘れられていったことだ。
クラブの節目——50周年、スタジアム開場、75周年——のたびに新しい歌が作られてきた。そのなかで1974年のものだけが生き残ったわけである。



5代目っていうのが面白いよね。しかも先代たちは忘れられちゃった。それだけ1974年のあの歌が強かったってことなんだろうな。
なぜカタルーニャ語で歌われるのか
この歌はカタルーニャ語で書かれている。スペイン語(カスティーリャ語)ではない。ここに、この歌のいちばん重い部分がある。
1974年という年の意味
この歌が生まれた1974年、スペインはフランコ政権下にあった。フランコが亡くなるのは翌1975年である。
当時、カタルーニャ語やカタルーニャ文化の表現は長く抑圧されていた。その時代に、カタルーニャ語のクラブ歌をカンプ・ノウで3,500人が歌う——これは単なるセレモニーではなかった。
実際、この日の式典では当時禁じられていたカタルーニャの歌や、伝統舞踊のサルダーナも披露されたと伝えられる。当局の関係者も会場にいたが、最終的にこの文化的な催しは黙認されたという。
「Més que un club」とのつながり
FCバルセロナには「Més que un club(クラブ以上の存在)」という有名なモットーがある。
クラブ歌は、その言葉がなぜ生まれたのかを最も分かりやすく示すものだ。言語や文化を表に出すことが難しかった時代に、スタジアムだけはそれが許される場所だった。だからこの歌は、いまも単なる応援歌以上の重さを持って響く。
クラブの成り立ちと「Més que un club」の精神については、こちらで詳しく解説している。


同じように、エンブレムにもカタルーニャの象徴が組み込まれている。


いつ歌われるのか
クラブ歌が流れる場面は、だいたい決まっている。
- ホームゲームのキックオフ直前——最も多くの人が耳にする場面
- タイトル獲得の瞬間とその後の祝賀
- クラブの記念式典や、選手の入団発表・退団セレモニー
- クラブに関わった人を追悼する場面
とくにキックオフ直前は、スタジアム全体の空気が変わる瞬間だ。中継で観ていても、観客席の音がひとつにまとまっていくのが分かる。
スタジアムそのものの歴史や規模については、こちらで解説している。


💡 ユニフォームに刻まれている
あまり知られていないが、2008年以降、公式レプリカユニフォームにクラブ歌が刻まれている。
普段は目に入らない場所にあるので、持っている人でも気づいていないことがある。手元にバルサのユニフォームがある方は、一度探してみてほしい。
また2023年には新しい録音版が作られた。バリェス交響楽団、合唱団オルフェオ・カタラ、若手合唱団コル・ジョベによる演奏で、原曲の譜面と歌詞はそのままに、音質と編曲を刷新したものだという。



ユニに刻まれてるって知ったとき、思わず引っ張り出して確認しちゃった。あるんだよ、ちゃんと。こういうところが好きなんだよね、このクラブ。
聴いてみる
FCバルセロナ公式YouTubeチャンネルが、クラブ歌の音源を公開している。まずは一度、通しで聴いてみてほしい。
※FCバルセロナ公式YouTubeチャンネルの動画を埋め込んでいます。
カタルーニャ語なので、最初は聞き取れないと思う。だが意味が分からなくても、あの一体感は伝わってくる。
歌詞を知りたい方へ
歌詞はFCバルセロナ公式サイトで公開されている。本記事では著作権の関係で掲載していないので、こちらでご確認いただきたい。
まとめ
- 「イムノ」はスペイン語で「賛歌」という一般名詞。曲の正式名はCant del Barça
- イムノ=クラブ公式の1曲、チャント=サポーターが歌う応援歌で別物
- 17分14秒のコールは1714年(カタルーニャが自治を失った年)に由来
- 1974年、クラブ創設75周年を記念して制作(作詞:ピカス/エスピナス、作曲:バルス)
- じつは5代目のクラブ歌。1910年・1923年・1949年・1957年にも先代がある
- 初披露は1974年11月27日のカンプ・ノウ。78の合唱団から集まった3,500人が歌った
- フランコ政権下でカタルーニャ語の歌をスタジアムで歌うという、文化的にも大きな意味を持つ出来事だった
- ホームゲームのキックオフ直前やタイトル獲得時に歌われる
- 2008年以降、公式レプリカユニフォームにも刻まれている
50年以上前に作られた歌が、いまも毎試合スタジアムに響いている。選手も監督も入れ替わるが、この歌だけは変わらない——そう考えると、クラブ歌というのはずいぶん贅沢なものだと思う。
次にバルサの試合を観るときは、キックオフの少し前から音を上げてみてほしい。試合とは違う種類の感動がそこにある。
Visca el Barça!Vamos Blaugrana!!








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