FCバルセロナ歴代フォーメーション図鑑
バルセロナ 歴代フォーメーション|毎シーズン更新
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フリック2年目の2025-26シーズン、バルサは昨季に引き続き4-2-3-1のハイラインを継続した。シーズン序盤はショートカウンターから失点する場面が多かったが、徐々に局面に応じたライン設定に修正し、安定感を増していった。
前線ではフェラン・トーレスが1トップとして先発を担い、素早いプレスと裏への抜け出しで相手守備陣を脅かし続けた。ただレバンドフスキとの出場時間の分け合いとなり、スタメンとして固定されるにはもう一段の安定感が求められるシーズンでもあった。右にヤマル、左にラフィーニャ、トップ下にフェルミンという攻撃陣は機能した一方、ラフィーニャは故障離脱が多く、欠場時にはラッシュフォードやフェルミンがカバー。ラフィーニャのいない試合での勝率の低さが、改めてその存在価値を証明する形となった。シーズン前にはチェルシーへの移籍話もあったフェルミンだが、残留は大正解。今季は1ランクアップし、左WGとしても質の高いプレーを見せた。
中盤ではペドリとフレンキー・デ・ヨングのダブルボランチがボールを循環させながら守備バランスを確保。ただ両者とも故障による同時離脱が重なり、序盤のピボーテ問題はチームの悩みだった。終盤にはガビが復帰し、ペドリとのコンビが機能してチームが締まった。
守備陣は今季の大きなサプライズ。冬に加入したカンセロが左SBで躍動し、高い位置を取りドリブルでチャンスを演出。右SBのエリック・ガルシアはどのポジションでも80点以上のパフォーマンスを発揮し、チームに安心感をもたらした。クバルシとの相棒としてマルティンがCBとして覚醒したことも大きく、最終ラインは昨季以上の安定を誇り連続無敗記録を更新した。GKのガルシアはエスパニョールから加入1年目にしてサモラ賞を獲得する活躍を見せた。
10番ヤマルは昨季と比べるとゴール数こそ減少したものの、チーム内でゴール・アシスト数ともにトップ。さすがの存在感で欧州トップクラスの地位を維持し続けた。
⚡ 記憶に残る瞬間
・カンプ・ノウのクラシコで2-0勝利し、リーグ優勝(連覇)を決定づけた(2026年5月10日)。クラブ通算29回目のリーガ制覇となった。
・一方、ベルナベウでの第1クラシコ(2025年10月/1-2)は黒星だった。
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ハンジ・フリックの1年目にして、いきなり国内3冠を達成。攻撃的で大胆なサッカーと若手の大ブレイクで、低迷していたバルサを一気に頂点へ押し上げた、まさに復活のシーズンとなった。
戦術:基本は4-2-3-1。フリックの代名詞である極端なハイライン&オフサイドトラップで相手を圧縮し、前線から奪って一気に畳みかけた。中盤の底はデ・ヨングとペドリ、トップ下にダニ・オルモ、両翼にラミン・ヤマルとラフィーニャ、1トップにレヴァンドフスキ。最終ラインでは17歳のパウ・クバルシが世界的CBへと急成長した。
🏆 国内3冠(トレブレ)
リーガ(28回目)、コパ・デル・レイ(決勝でマドリーに3-2/延長)、スーペルコパ・デ・エスパーニャ(決勝でマドリーに5-2)の国内3冠を達成。一方チャンピオンズリーグは準決勝でインテルに2戦合計6-7(延長)という、史上屈指の死闘の末に敗退した。レヴァンドフスキはリーガ27ゴールで得点王。
主な移籍
IN(加入):ダニ・オルモ(RBライプツィヒ)、パウ・ビクトル、そしてボイチェフ・シュチェスニー(無償/引退から復帰)。
OUT(退団):セルジ・ロベルト(契約満了)、ヴィトル・ロケ(パルメイラス)ほか。
※開幕後の9月にテア・シュテーゲンが膝の腱を負傷して長期離脱。緊急補強で引退から復帰したシュチェスニー(25番)がシーズンの大半でゴールを守り、優勝に大きく貢献した(テア・シュテーゲンは終盤に復帰)。18歳のラミン・ヤマルは完全に世界的スターへと飛躍した。フリックはカンテラ勢を積極的に起用し、中盤の底で台頭したマルク・カサド、攻撃的MFのフェルミン・ロペス、左SBで存在感を見せたジェラール・マルティン、前線のパウ・ビクトルやエクトル・フォルトら、多くの若手が出場機会をつかんだ。17歳の逸材マルク・ベルナルも開幕から鮮烈な印象を残したが、8月末に十字靭帯を断裂し、シーズンを棒に振ってしまったのは惜しまれた。
⚡ 記憶に残る瞬間
・対マドリーの公式戦に全勝した圧巻のシーズン。スーペルコパ決勝5-2、ベルナベウのリーグ戦で0-4(2024年10月/レヴァンドフスキ2発ら)、コパ・デル・レイ決勝3-2と、クラシコを次々に制した。
・CL準決勝インテル戦の死闘(2戦合計6-7)は、敗れはしたものの“史上最高のCLタイ”のひとつと称された。ヤマルの輝きは世界を驚かせた。

フリックが来て、こんなに一気に変わるとは思わなかった。ハイラインは見ていてヒヤヒヤするけど、ハマったときの破壊力は圧巻。クラシコを全部勝つなんて夢のようだった。ヤマルとクバルシという10代の2人が世界を相手に堂々と渡り合う姿に、毎試合鳥肌が立った。インテルとの準決勝で敗れたのは本当に悔しかったけど、バルサが完全に戻ってきたと確信できたシーズンだった。
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シャビ最終年の2023-24シーズン。前年の王者として臨んだが結果が伴わず、監督人事も二転三転した混乱の一年に。カンプ・ノウの改修工事のため、ホームをモンジュイック(オリンピックスタジアム)に移して戦ったシーズンでもあった。
戦術:基本は4-3-3。前年のブスケツ退団で、中盤は無償加入のギュンドアンが司令塔を務め、デ・ヨングやペドリと構成した。前線はレヴァンドフスキを軸に、ラフィーニャ、ジョアン・フェリックス、そして16歳のラミン・ヤマルが起用された。守備はテア・シュテーゲンが背中の手術で長期離脱し、イニャキ・ペーニャが多くの試合でゴールを守った。最終ラインはレンタル加入のカンセロやイニゴ・マルティネスらで再編された。なおシーズン終盤(2024年2月以降)には、CBのクリステンセンをピボーテ(中盤の底)にコンバートする奇策が当たり、終盤7試合の失点が16から6へ激減するなど守備が大きく安定した。
🪑 監督人事の混乱と無冠
1月、ビジャレアル戦の敗戦後にシャビがシーズン限りでの退任を表明。4月に一度撤回したものの、終盤に解任が決定し、後任にハンジ・フリックを招へいした。成績はリーガ2位、スーペルコパは決勝でマドリーに1-4、コパは準々決勝でビルバオに、CLは準々決勝でPSGに敗退(第2戦はアラウホの退場から崩れた)。2年ぶりの無冠に終わった。
主な移籍
IN(加入):イルカイ・ギュンドアン(マンC/無償)、ジョアン・フェリックス(アトレティコ/レンタル)、ジョアン・カンセロ(マンC/レンタル)、イニゴ・マルティネス(無償)、オリオル・ロメウ、ヴィトル・ロケ。
OUT(退団):セルヒオ・ブスケツとジョルディ・アルバ(ともにインテル・マイアミ)、ウスマン・デンベレ(パリSGへ/約5,000万ユーロ)、フランク・ケシエ(サウジ)。
※この季の最大の収穫は16歳ラミン・ヤマル(背番号27)の本格的なブレイク。リーガ最年少得点記録を更新するなど、未来のスターが姿を現した。
⚡ 記憶に残る瞬間
・クラシコは3戦全敗(スーペルコパ決勝1-4、リーグはベルナベウ1-2/モンジュイック2-3)。とくに4月のモンジュイックでの一戦は、ヤマルのシュートがゴールラインを越えたか議論を呼ぶ“幻のゴール”騒動のすえ、ベリンガムの終盤弾で逆転負けを喫した。
・暗いシーズンの光は16歳ヤマルの台頭。未来への希望を確かに感じさせた。

正直、つらいシーズンだった。シャビの退任騒動、クラシコ全敗、モンジュイックでの“幻のゴール”の悔しさ…。それでも、16歳のヤマルがピッチで見せた輝きだけは別格だった。ブスケツとアルバがアメリカへ旅立ち、一つの時代が完全に終わった一方で、ヤマルという新しい時代の主役が確かに生まれていた。モンジュイックでの仮住まいも、いつか懐かしく思い出すんだろうな。
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シャビ2年目の2022-23シーズン。夏の大型補強でチームを一新し、5年ぶりのリーガ制覇でマドリーから王座を奪還。再建が結実した一年となった。
戦術:基本は4-3-3。レヴァンドフスキを1トップに、ラフィーニャとデンベレ/アンス・ファティが両翼を担った。中盤はブスケツのアンカーに、若きペドリとガビ、そしてデ・ヨングやケシエが絡む構成。守備は堅く、テア・シュテーゲンがリーグ26試合無失点(最多タイ記録)という鉄壁ぶりを見せた。最終ラインには新加入のクンデやクリステンセン、左SBに若いバルデが台頭した。
🏆 リーガ&スーペルコパの2冠
リーガ(27回目・2018-19以来)を制覇し、マドリーから王座を奪還。さらにスーペルコパ・デ・エスパーニャ(決勝でマドリーに3-1)も制し、シャビ監督初タイトルを獲得した。一方コパ・デル・レイは準決勝でマドリーに敗退、CLはグループ敗退でELに回り、プレーオフでマンチェスター・Uに敗退と、欧州では苦戦が続いた。レヴァンドフスキはリーガ23ゴールでピチーチを獲得した。
主な移籍
IN(加入):ロベルト・レヴァンドフスキ(バイエルン)、ラフィーニャ(リーズ)、ジュール・クンデ(セビージャ)、アンドレアス・クリステンセン(無償)、フランク・ケシエ(無償)、マルコス・アロンソ、ベジェリン。いわゆる“経済的レバー”を使った大型補強だった。
OUT(退団):オーバメヤン(チェルシー)、メンフィス(アトレティコ)、ジェラール・ピケ(11月に現役引退)、そしてセルヒオ・ブスケツが18年の在籍を経てこのシーズン限りで退団。
※ピケはシーズン途中(2022年11月)に電撃引退。長年クラブを支えたブスケツも夏に退団し、アメリカ(インテル・マイアミ)へ。世代交代がさらに進んだ。
⚡ 記憶に残る瞬間
・スーペルコパ決勝でマドリーに3-1(2023年1月15日)。ガビらが躍動し、シャビ体制初のタイトルを掲げた(この試合もアラウホが右SBでヴィニシウスを封じた)。
・カンプ・ノウのクラシコでケシエの92分弾(2023年3月19日/2-1)。アラウホのOGで先行されるもセルジ・ロベルトが追いつき、土壇場でケシエが決勝点。これで12ポイント差をつけ、優勝をほぼ手中にした。
・一方、ベルナベウのクラシコ(2022年10月/1-3)は黒星だった。

レヴィの加入でゴール前の迫力が一気に戻り、テア・シュテーゲンの鉄壁とあわせてリーグを走り切った。ケシエがカンプ・ノウのクラシコでねじ込んだ92分のゴールは、優勝を確信させる最高の瞬間だった。ピケの引退とブスケツの退団は寂しかったけど、ペドリ・ガビ・バルデの若い力で“次のバルサ”が見えてきたシーズンでもあった。
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メッシのいない新時代の幕開けとなった2021-22シーズン。低迷したクーマンが10月末に解任され、11月にレジェンドシャビ・エルナンデスが監督として復帰。チームの再建が始まった。
戦術:シャビは伝統の4-3-3+ポゼッションに回帰。中盤ではペドリと17歳のガビという新世代が一気に主力化し、ブスケツやデ・ヨングと中盤を構成した。冬に加入したオーバメヤンとフェラン・トーレス、そしてデンベレが前線を担い、後半戦は見違える攻撃力を取り戻した。
🪑 監督交代と2年連続の無冠
クーマンを解任(リーグ9位の不振)してシャビが11月6日に就任。リーガは巻き返して2位まで浮上したが、CLはグループ敗退でELに回り、準々決勝でアイントラハト・フランクフルトに敗退(カンプ・ノウが相手サポーターで埋まった一戦は語り草に)。スーペルコパ準決勝もマドリーに敗れ、2年連続の無冠に終わった。
主な移籍
IN(加入):夏にメンフィス・デパイ、セルヒオ・アグエロ(無償)、ルーク・デ・ヨング(セビージャ/レンタル)、エリック・ガルシア、エメルソン。冬にフェラン・トーレス(マンC)、オーバメヤン(アーセナル/無償)、アダマ・トラオレ(レンタル)、そしてダニ・アウベスが背番号8で電撃復帰。
OUT(退団):リオネル・メッシ(パリSGへ無償)、グリーズマン(アトレティコへレンタル)、コウチーニョ(アストン・ヴィラ)ほか。
※アグエロは加入直後の不整脈(心臓の問題)により12月に現役引退。短い在籍でクラブに別れを告げた。なお同じく夏に加入したルーク・デ・ヨングは、空中戦に強く途中出場から得点を量産する“スーパーサブ”として6ゴールを挙げ、印象に残る働きを見せた。台頭したガビ(当時30番)とペドリは、その後のバルサの中盤を背負う存在となっていく。
⚡ 記憶に残る瞬間
・ベルナベウで0-4の歴史的快勝(2022年3月20日)。オーバメヤンらが沈め、シャビ体制の前進を強烈に印象づけた。この一戦から、CBのアラウホを右SBに回してヴィニシウスを専属マークさせる奇策が始まり、見事に機能した。
・カンプ・ノウのクラシコ(2021年10月/1-2)は黒星。バルサの得点はアグエロのもので、結果的にこれが彼のバルサ唯一のゴールとなった。

メッシのいないバルサに最初は寂しさしかなかったけど、シャビが帰ってきてくれて「ここから立て直してくれる」と希望が見えた。ペドリとガビの若い2人が中盤で躍動し始めたのが本当に嬉しかった。ベルナベウでの0-4は、暗いトンネルの中に差した光のような勝利。アグエロの引退と、フランクフルトにカンプ・ノウを“占拠”された夜の悔しさは、忘れられない。
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ロナルド・クーマンの1年目。8-2の惨敗とメッシの退団騒動という大混乱のあとに就任し、若手を抜擢しながらチームを立て直した。そして結果的に、これがメッシのバルサ最終シーズンとなった。
2つの布陣:開幕は4バック系で入ったが結果が安定せず、年末以降は3バックの3-5-2(①)が基本形に。アルバとデストを高い位置のウイングバックに置き、前にメッシとグリーズマンの2トップを構えた。一方で4-3-3(②)も併用し、こちらはメッシを最前線に、両翼にグリーズマンとデンベレ、最終ラインにアラウホを入れる形。若きペドリ、アラウホ、ミンゲサらカンテラ勢が一気に主力化したのもこの季の収穫だった。
🏆 コパ・デル・レイ優勝(唯一のタイトル)
決勝でアスレティック・ビルバオに4-0と圧勝し、コパ・デル・レイを制覇(メッシが2得点)。一方リーガは3位(終盤に失速して優勝を逃した、悔しさの残る結果)、スーペルコパは決勝でビルバオに2-3で敗れ、チャンピオンズリーグはラウンド16でPSGに2戦合計2-5で敗退した。
主な移籍
IN(加入):セルジーニョ・デスト(アヤックス)、ミラレム・ピアニッチ(ユベントス/アルトゥールとの交換)、フランシスコ・トリンカン(ブラガ)、ペドリ(ラス・パルマス)。
OUT(退団):ルイス・スアレス(アトレティコ・マドリーへ無償移籍。のちにアトレティコの優勝に貢献し物議に)、アルトゥーロ・ビダル(インテル)、イバン・ラキティッチ(セビージャ)、ネルソン・セメド(ウルブス)。
※グリーズマンはこの季から背番号7。CBはピケ・ラングレ・アラウホに加え、カンテラのミンゲサ(28番)も起用された。前夏のブロファックス騒動の末に残留したメッシは、シーズン終了後の2021年夏に無償でPSGへ移籍し、21年に及ぶ在籍に幕を下ろした。
⚡ 記憶に残る瞬間
・クラシコはホーム1-3/アウェー1-2で連敗。世代交代期の苦しさがにじんだ。
・一方、コパ・デル・レイ決勝の4-0(対ビルバオ)でメッシが決めた2ゴールが、バルサ最終年の輝きとして記憶に残る。

スアレスを無償でアトレティコに出したのは今でも納得いかない(その年に優勝を手伝われた…)。それでもクーマンが3バックに変えてから、ペドリ・アラウホ・ミンゲサっていうカンテラの若手が出てきたのは救いだった。コパ決勝の4-0は気持ちよかったな。ただ、まさかこれがメッシの最後のシーズンになるとは……夏の退団会見の涙は、今も思い出すと胸が詰まる。
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クラブが大きく揺れた2019-20シーズン。1月にバルベルデが解任されキケ・セティエンが就任したが流れは変わらず、2007-08以来の無冠に終わった。そしてシーズン最後に、歴史的な大惨敗が待っていた。
💥 リスボンの惨劇 — バイエルンに2-8
コロナ禍で1試合決戦となったチャンピオンズリーグ準々決勝(リスボン)、バイエルン・ミュンヘンに2-8で大敗。CLノックアウト史上最大の敗戦で、レンタル移籍中のコウチーニョが古巣相手に2得点する皮肉な結末だった。クラブの一時代の終わりを決定づけた一戦となった。
🪑 監督交代と無冠
1月13日、スーペルコパ準決勝(アトレティコ)敗退を受けてバルベルデを解任し、セティエンが就任。だがリーガはレアル・マドリーに逆転を許して2位、コパは準々決勝敗退、CLは前述の通り。2007-08以来となる無冠のシーズンとなった。
戦術:基本は4-3-3(4-2-3-1に近い形も)。中盤には新加入のフレンキー・デ・ヨングが定着。前線はメッシ・スアレスに、大型補強のグリーズマンが加わったが、3人の連係は最後まで最適解が見えなかった。
シーズン中の動き:1月の監督交代後、セティエンは4-3-3を継承しつつカンテラのリキ・プッチやアルトゥールに出番を与えた。だが夏にアルトゥールのユベントス移籍(ピアニッチとの交換)が決まると本人が復帰を拒否してチームを離れるなど、内部のゴタゴタも噴出。さらにスアレスが1月に膝の手術で長期離脱、デンベレの長期離脱も重なり、2月には医療特例でブライスワイトを緊急補強する異例の事態となった。一方、10代のアンス・ファティが最年少記録を更新しながら台頭したのは数少ない明るい話題だった。
⚡ 記憶に残る瞬間
・スアレスの伝説的バックヒール弾(2019年12月7日・対マジョルカ/5-2)。崩れた体勢から放ったかかとシュートを、本人も「キャリア最高のゴール」と語った。
・クラシコ:ホーム(カンプ・ノウ/12月)は0-0。だが3月のベルナベウで0-2の敗戦(ヴィニシウス&マリアノ)を喫し、首位の座をマドリーに明け渡して優勝争いから後退した。
主な移籍
IN(加入):アントワーヌ・グリーズマン(アトレティコ/約1億2,000万ユーロ)、フレンキー・デ・ヨング(アヤックス/約7,500万ユーロ)、ネト(バレンシア/GK)、マルティン・ブライスワイト(レガネス/2月の緊急補強)。
OUT(退団):フィリペ・コウチーニョ(バイエルンへ期限付き)、マルコム(ゼニト)。
※中盤はデ・ヨングのほか、アルトゥール(夏にユベントスへ移籍が決定)、ラキティッチ、ビダルらを併用。この夏の混乱の末、メッシが退団を申し入れる(ブロファックス騒動)事態へとつながっていく。

2-8は、見ていて途中から現実だと思えなかった。点を取られるたびに「これは本当に起きているのか」と。コウチーニョにまで決められて、ただただ無力だった。ローマ、アンフィールド、そしてリスボン……積み重なった失望が一気に噴き出して、メッシの退団騒動にまで発展した。一つの黄金時代が、音を立てて崩れたシーズンだった。
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エルネスト・バルベルデの2年目。リーグ連覇を含む国内タイトルを獲得した一方、シーズンの最後にサッカー史に残る悪夢を味わった、栄光と絶望が同居した一年だった。
🏆 リーガ連覇+スーペルコパ
リーガ(26回目・連覇/87ポイント)と、開幕前のスーペルコパ・デ・エスパーニャ(セビージャに2-1)を制覇。メッシは公式戦51ゴールで得点を量産した。一方コパ・デル・レイは決勝でバレンシアに1-2で敗れ、4連覇&三冠の夢が絶たれた。
💀 アンフィールドの悲劇
チャンピオンズリーグ準決勝、ホームの第1戦でリバプールに3-0と快勝。誰もが決勝進出を確信した。しかしアンフィールドの第2戦でまさかの0-4——オリギとワイナルドゥムに各2点を奪われ、2戦合計3-4で逆転敗退した。前年のローマに続く、2年連続のCL大逆転負けだった。
戦術:基本は4-3-3。イニエスタの退団で空いた中盤には新加入のアルトゥール(アルトゥール・メロ)(背番号8を継承)が入り、ボール保持を担った。前線はメッシ・スアレスにコウチーニョやデンベレが絡む形。アルトゥーロ・ビダルは推進力ある中盤として要所で起用された。
主な移籍
IN(加入):アルトゥール(グレミオ)、アルトゥーロ・ビダル(バイエルン)、クレマン・ラングレ(セビージャ)、マルコム(ボルドー)、ケビン=プリンス・ボアテング(1月・期限付き)。
OUT(退団):アンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)、パウリーニョ(広州恒大)、アンドレ・ゴメス(エバートン)、ジェリー・ミナ(エバートン)。
※2001-02以来はじめて、イニエスタのいないシーズンとなった。CBはピケとラングレが主軸で、ウムティティは負傷に苦しんだ。
⚡ 記憶に残る瞬間
・スアレスのハットトリックで5-1(2018年10月28日・カンプ・ノウ)。マドリーを圧倒した大勝だった。
・ベルナベウ(2019年3月/1-0)でもラキティッチの一撃で勝利し、敵地連勝を達成。

リーグ連覇は立派だったし、ホームでリバプールに3-0で勝ったときは「今年こそ決勝だ」と本気で信じた。それがアンフィールドで0-4…前半のうちから嫌な予感がして、ワイナルドゥムの2点目で頭が真っ白になった。ローマの翌年にまた、しかも相手の聖地で。あの夜の喪失感は言葉にできない。バルベルデへの風当たりが一気に強まったのも、この一戦からだった。
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エルネスト・バルベルデの1年目。ネイマールがPSGへ去った穴を抱えながらも、堅実な守備をベースに国内2冠(ドブレ)を達成。前任までの攻撃一辺倒から、現実的なスタイルへと舵を切ったシーズンだった。
2つの布陣:この季のバルベルデは、中盤ダイヤモンドの4-4-2(①)を実質的なベースにしていた。メッシとスアレスを2トップ気味に並べ、底のブスケツの前でインテリオールが流動的に動く形。新加入のデンベレが負傷続きだったこともあり、予想外にパウリーニョが運動量と飛び出しでハマり、得点も量産した。一方、デンベレやコウチーニョ(1月加入)が使える時は従来型の4-3-3(②)も併用した。
🏆 無敗優勝&ドブレ
リーガはほぼ無敗での優勝——公式戦をまたいだ43試合無敗を記録し、リーグ戦では第37節のレバンテ戦(4-5)でようやく初黒星を喫した(優勝はすでに確定済み)。コパ・デル・レイも決勝でセビージャに5-0と圧勝し4連覇。一方スーペルコパはレアル・マドリーに敗れ、チャンピオンズリーグは準々決勝でローマに痛恨の逆転負け(ホーム4-1→アウェー0-3/アウェーゴール差)を喫した。
主な移籍
IN(加入):ウスマン・デンベレ(ドルトムント/約1億500万ユーロ)、フィリペ・コウチーニョ(リバプール/1月・約1億2,000万ユーロ)、パウリーニョ(広州恒大)、ネルソン・セメド(ベンフィカ)。
OUT(退団):ネイマール(パリSG/買い取り条項2億2,200万ユーロの世界記録)、ハビエル・マスチェラーノ(中国・河北)。
※CLではコウチーニョが登録の関係で出場できない時期があった。このシーズンを最後に、22年間クラブに尽くしたイニエスタが退団した。
⚡ 記憶に残る瞬間
・ベルナベウで0-3の快勝(2017年12月23日)。スアレス、メッシ(PK)らが沈め、無敗街道のハイライトとなった。
・カンプ・ノウ(2018年5月/2-2)は最終盤まで競った打ち合いのドロー。

ネイマールが去ってどうなるかと思ったけど、バルベルデは4-4-2で堅く締めてリーグをほぼ無敗で走り切った。デンベレが怪我ばかりだった分、パウリーニョがあんなにハマるとは正直思わなかった——ボックスへの飛び出しは見ていて気持ちよかった。ただローマでの0-3は、まさに地獄の底に突き落とされた感覚だった。ホームで4-1とリードしながらの逆転負け…あの絶望は今も忘れられない。そしてイニエスタのラストイヤー。最後の涙は一生忘れない。
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ルイス・エンリケ最終年の2016-17シーズン。MSN(メッシ・スアレス・ネイマール)は健在だったが、リーグはレアル・マドリーに競り負けて2位。それでも、サッカー史に残る大逆転劇でファンの記憶に深く刻まれた一年となった。
2つの布陣:基本は前年までの4-3-3(①)。一方この季は3バックの3-4-3(②)も頻繁に併用したのが特徴。とくにPSG戦では3バック+中盤ダイヤモンドで数的優位を作り、前の3枚にMSNを並べる大胆な形をとった。あのPSG戦の歴史的逆転(6-1)も、4-0で敗れた第1戦から布陣を3-4-3系に変えてはまった一例。ただし常にうまく機能したわけではなく、守備のリスクも大きく、試行錯誤の色が濃いシーズンでもあった。
🔥 史上に残る「レモンターダ」6-1
チャンピオンズリーグ・ラウンド16、パリで0-4の大敗を喫した第1戦から、カンプ・ノウの第2戦でPSGに6-1。セルジ・ロベルトが95分に決めた6点目で2戦合計6-5とし、奇跡の逆転突破を果たした。CL史上初の「4点差からの逆転」だった(その後、準々決勝でユベントスに0-3で敗退)。
🏆 国内2タイトル
コパ・デル・レイ(決勝でアラベスに3-1)と、開幕前のスーペルコパ・デ・エスパーニャ(セビージャに2戦合計5-0)を制覇。一方リーガはマドリーに勝点3差で2位に終わった。
主な移籍
IN(加入):サミュエル・ウムティティ(リヨン)、アンドレ・ゴメス(バレンシア)、リュカ・ディニュ(PSG)、パコ・アルカセル(バレンシア)、ヤスパー・シレッセン(アヤックス/GK)、デニス・スアレス(ビジャレアル)。
OUT(退団):ダニ・アウベス(ユベントス/自由移籍)、クラウディオ・ブラボ(マンチェスター・C)。
※アウベスの退団でセルジ・ロベルトが右SB/右ウイングバック(背番号20)にコンバート。3月1日にエンリケが退任を発表した。このシーズンを最後にネイマールがPSGへ(移籍金2億2,200万ユーロの世界記録)移籍し、黄金のMSNは解体された。
⚡ 記憶に残る瞬間
・メッシ、ベルナベウで劇的な決勝弾(2017年4月23日/3-2)。92分のゴールはバルサ通算500ゴール。ユニフォームを脱いで背番号10を掲げた“あの”名場面が生まれた。
・カンプ・ノウのクラシコ(2016年12月/1-1)はラモスの終盤ヘッドで引き分けた。

パリで0-4にやられたときは「終わった」と思った。それがカンプ・ノウで3-4-3にして6-1…ロベルトが押し込んだ95分の瞬間、本当に叫んだ。3バックは噛み合わない試合もあって、見ていてヒヤッとすることも多かったけど、ハマったときの破壊力はすさまじかった。リーグはマドリーに譲り、ネイマールもこの夏に去ったけど、レモンターダだけでこの季は語り継ぐ価値がある。
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ルイス・エンリケ2年目の2015-16シーズン。前年の三冠メンバーをほぼ維持し、MSN(メッシ・スアレス・ネイマール)は公式戦合計131ゴールと前年の122を上回る歴代記録を更新。国内2冠(リーガ+コパ)を含む充実のシーズンとなった。
🏆 国内2冠+国際2タイトル
リーガ(24回目)とコパ・デル・レイ(決勝でセビージャに2-0/延長)の国内2冠を達成。さらに2015年夏のUEFAスーパーカップ(セビージャに5-4)、12月のFIFAクラブワールドカップ(決勝でリーベル・プレートに3-0)も制覇した。一方スーペルコパ・デ・エスパーニャはアスレティック・ビルバオに敗れ、チャンピオンズリーグは準々決勝でアトレティコ・マドリーに敗退した。
戦術:基本は前年同様の4-3-3で、ブスケツのアンカーにラキティッチとイニエスタ、前線にMSN。完成された型をそのまま継続した。なおシャビが17年を過ごしたクラブを離れたため、終盤に試合を締める“締め役”は不在となり、より前への圧力で押し切る色が強まった。アウベスは退団したシャビの背番号6を継いだ。
⛔ 補強禁止(トランスファーバン)の影響
この季はFIFAの移籍制限により、夏に獲得したアルダ・トゥラン(アトレティコ)とアレイシュ・ビダル(セビージャ)が2016年1月まで公式戦に出場できなかった。前半戦は実質的に新戦力なしで戦い抜いた。
主な移籍
IN(加入):アルダ・トゥラン(アトレティコ・マドリー)、アレイシュ・ビダル(セビージャ)※ともに登録は夏だが出場は2016年1月から。
OUT(退団):シャビ・エルナンデス(アル・サッド/2014-15の三冠を花道に、17年の在籍を経て有終の美を飾り退団)、ペドロ(チェルシー)、ドウグラス・ペレイラ(期限付き)ほか。
※GKはリーグ戦がブラボ、コパ・CLがテア・シュテーゲンの併用を継続。リーガは5月14日、グラナダに0-3で勝利して1試合を残し優勝を決めた。
⚡ 記憶に残る瞬間
・ベルナベウで0-4の大勝(2015年11月21日)。スアレス2発、ネイマール、イニエスタの芸術弾で敵地を制圧した。
・クライフ追悼クラシコでまさかの逆転負け(2016年4月2日・カンプ・ノウ)。逝去直後の一戦でピケが先制するも、ベンゼマとロナウド(85分)に1-2と覆された。スタンドは14分にクライフの背番号14へ大きな拍手を送った。

MSNが131ゴールという、もう笑うしかない破壊力。補強禁止で新戦力が前半戦使えなかったのに国内2冠を獲ったのは地力の証だった。ただシャビがいなくなって、終盤に試合を落ち着かせる存在の大きさを逆に痛感したシーズンでもあった。CLでアトレティコに屈したのは悔しかったけど、リーグ最終盤の連勝で締めた強さはさすがだった。
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ルイス・エンリケの1年目にして、クラブ史上2度目のトレブレ(三冠)を達成した黄金のシーズン。前線にメッシ・スアレス・ネイマール=“MSN”の3トップが揃い、公式戦合計122ゴールという驚異的な破壊力でヨーロッパを席巻した。
🏆 史上2度目のトレブレ(三冠)
リーガ(23回目)+コパ・デル・レイ(決勝でアスレティック・ビルバオに3-1)+チャンピオンズリーグ(ベルリンの決勝でユベントスに3-1)を制覇。2008-09に続くクラブ2度目の三冠だった。
戦術:メッシが右に回り、中央に本職の9番スアレス、左にネイマール。中盤はブスケツのアンカーに、加入したラキティッチとイニエスタが絡む4-3-3。前任のポゼッション一辺倒から、奪ってからの速い攻め(縦への鋭さ)も加わったのが大きな進化だった。中盤はイニエスタがスタメンで君臨し、ベテランのシャビ(バルサ最終年)は試合終盤に投入されて流れを締める“ジョーカー”役が実に印象的だった。
⚡ 解任説から一転、後半戦の大逆襲
実は年明けまではチームとエンリケの関係がぎくしゃくしていた。1月4日のアノエタ(レアル・ソシエダ戦)ではメッシをベンチスタートにして0-1で敗戦し、監督と選手の溝が深刻化。一時は解任説まで報じられた。しかしこの一戦を転機にエンリケが歩み寄って関係を修復すると、そこからの後半戦の巻き返しと強さは凄まじく、一気に三冠へと駆け上がった。
主な移籍
IN(加入):ルイス・スアレス(リバプール)、イバン・ラキティッチ(セビージャ)、テア・シュテーゲン(ボルシアMG)、クラウディオ・ブラボ(レアル・ソシエダ)、ジェレミ・マチュー(バレンシア)、トーマス・フェルマーレン(アーセナル)。
OUT(退団):セスク・ファブレガス(チェルシー)、アレクシス・サンチェス(アーセナル)、ビクトル・バルデス(マンチェスターU)、カルレス・プジョル(現役引退)。
※スアレスはW杯での噛みつき問題による出場停止で、デビューは10月25日のクラシコ。GKはリーグ戦がブラボ(13番)、コパ・CLがテア・シュテーゲン(1番)の併用で、CL決勝はテア・シュテーゲンが守った。プジョルの引退で空いた5番をブスケツが継いだ。
⚡ 記憶に残る瞬間
・スアレスの決勝弾で2-1勝利(2015年3月22日・カンプ・ノウ)。マチューのヘッドとスアレスのゴールでマドリーを下した。
・ベルナベウ(2014年10月/1-3)は黒星。スアレスは噛みつき出場停止明けで、この試合がデビュー戦だった。

MSNは本当に反則級だった。メッシが右に開いてスアレスが中央で起点を作り、ネイマールが左で違いを作る——どこからでも点が獲れる3トップに毎試合ワクワクした。ベルリンでの決勝、ラキティッチの先制からのトレブレ達成は鳥肌もの。ルイス・エンリケがポゼッションに「速さ」を足して、バルサを一段階アップデートしたシーズンだったと思う。
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アルゼンチン人指揮官ヘラルド・“タタ”・マルティーノの1年目。基本は4-3-3+偽9番を継承しつつ、夏に鳴り物入りで加入したネイマールを左に置き、メッシとの“ネイ&メッシ”が新たな目玉となった。だが世代交代の過渡期で、ティキ・タカにも陰りが見え始めた一年だった。
メッシがいる時といない時で前線は大きく変わった。メッシ起用時は彼を中央の偽9番に、両翼にネイマールとアレクシスを置く形が基本(①)。だがメッシは9月・11月と相次いで負傷し長期離脱、ネイマールもフルシーズンは稼働できなかった。その不在時にはセスクが中央(メディアプンタ/偽9番)に入り、両翼をペドロとアレクシスが務める形(②)でしのいだ。
成績・タイトル:リーガは最終節までもつれたが、ホームのカンプ・ノウでのアトレティコ・マドリー戦に0-0で引き分け、優勝を逃して2位に終わった(アトレティコが優勝)。コパ・デル・レイは決勝でレアル・マドリーに敗れ準優勝、チャンピオンズリーグも準々決勝でアトレティコに敗退。唯一の戴冠は開幕前のスーペルコパ・デ・エスパーニャ(アトレティコにアウェーゴール差で制覇)だった。
🚑 故障に泣いたシーズン
メッシは9月と11月に相次いで筋肉系の負傷を負い、長期離脱。さらに3月には守護神バルデスが前十字靭帯を断裂し、終盤はピントがゴールを守った。主力の故障が最後まで響いた。
主な移籍
IN(加入):ネイマール(サントス)、ボージャン(ローマから復帰)、アフェライ(レンタルから復帰)。
OUT(退団):ダビド・ビジャ(アトレティコ・マドリー)、チアゴ・アルカンタラ(バイエルン)、エリック・アビダル(モナコ/自由移籍)。
※CBはピケとマスチェラーノが主軸で、プジョルはこのシーズン限りで現役を引退した。アウベスはアビダルの背番号を継いで22番を着用した。
⚡ 記憶に残る瞬間
・メッシのハットトリックで4-3(2014年3月23日・ベルナベウ)。“史上屈指のクラシコ”と称される激闘を、87分のPKで制した。
・カンプ・ノウ(2013年10月/2-1)ではネイマールが初クラシコ弾を決めた。

ネイマールが来たときは胸が躍ったし、メッシとのコンビには未来を感じた。でも実際はメッシの長期離脱が痛くて、不在の間はセスクを中央に置いてペドロとアレクシスでしのぐ時間が長かった。ホームでアトレティコと引き分けて目の前で優勝をさらわれた夜は本当に悔しかったし、プジョルの引退も重なって、一つの黄金期が静かに終わっていくのを感じたシーズンだった。
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グアルディオラの後を継いだティト・ビラノバの1年目。基本は4-3-3+偽9番を継承しつつ、新加入のジョルディ・アルバが左SBに定着し、攻撃に新たな推進力を加えた。シーズンを通してほぼ首位を独走し、敗れたのはわずか2試合という驚異的な強さだった。
🏥 ティト監督、闘病のシーズン
ティトは12月に耳下腺の手術を受け、闘病のため一時指揮を離れた。その間は助監督のジョルディ・ロウラがチームを率いた。困難の中でつかんだリーグ優勝だった。
成績・タイトル:リーガは勝点100(32勝4分2敗)でレアル・マドリーに15ポイント差をつけて優勝(クラブ22回目)。一方、コパ・デル・レイは準決勝でマドリーに敗退、チャンピオンズリーグも準決勝でバイエルンに2戦合計0-7と大敗。シーズン開幕前のスーペルコパ・デ・エスパーニャもマドリーにアウェーゴール差で敗れ、無冠に終わった国内外のカップ戦は課題を残した。
👑 メッシ、4年連続バロンドール
メッシはこのシーズンも公式戦60ゴール(リーガ46ゴール)を記録し、史上初の4年連続バロンドールを受賞。圧倒的な得点力でチームを牽引した。
主な移籍
IN(加入):ジョルディ・アルバ(バレンシア)、アレックス・ソング(アーセナル)。
OUT(退団):セイドゥ・ケイタ(大連アーバン/自由移籍)、アフェライ(シャルケへ期限付き)、マクスウェル(前年1月にパリSGへ移籍済み)。
※CBはピケとマスチェラーノが主軸。プジョル(5番)は怪我に苦しみ出場が限られた。前線はビジャ・ペドロ・アレクシス・セスクらがメッシの両脇で流動的に入れ替わった。
⚡ 記憶に残る瞬間
・カンプ・ノウのクラシコ2-2(2012年10月/メッシ2得点)。互いに譲らぬ打ち合いを演じた。
・メッシはこの季リーガ46ゴールでピチーチを獲得し、リーグ年間最多得点記録を更新した。

ティトが病と闘いながら勝ち取った勝点100の優勝は、本当に胸が熱くなった。ジョルディ・アルバの加入で左サイドが一気に速くなったのを覚えている。ただCL準決勝バイエルン戦の合計0-7はあまりに衝撃的で、一つの時代が終わりに近づいたことを感じさせる一戦でもあった。翌年ティトが再び病に倒れ退任すると聞いたときは、言葉が出なかった。
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グアルディオラ最終年の2011-12シーズン。研究が進む「バルサ対策」の克服に苦労した一年で、前半戦は4-3-3+偽9番を継続。攻撃陣の目玉だった新加入のアレクシスは度重なる不運な怪我で序盤は本領を発揮できず、12月のクラブW杯ではビジャが脛骨骨折で長期離脱。一方でクエンカ・テージョら若手が台頭し、メッシはほぼフル出場で異次元のパフォーマンスを見せた。最終ラインではマスチェラーノがセントラルに定着、怪我がちなプジョルを支えた。
そして後半戦には、新加入のセスクを活かすべく中盤を厚くした3-4-3(3バック)を本格的に併用。ビジャレアルとのリーガ開幕戦でいきなり披露して華々しい効果を発揮し、12月のFIFAクラブワールドカップ(横浜)決勝・サントス戦では、いわゆる「3-7-0」とも評された0トップで世界に衝撃を与えた。狙いは中盤で数的優位を作り、ボールを失っても即座に回収して攻め続けること。セスクとメッシの連係とエリアへの飛び出しが大きな破壊力を持っていた。ただしタイトルの懸かった終盤のチェルシー戦・マドリー戦では思うような効果を発揮できなかった。
成績・タイトル:リーガは勝点91で2位。レアル・マドリー(モウリーニョ)が当時記録の勝点100で優勝し、9ポイント差で連覇が止まった。一方コパ・デル・レイ(決勝でアスレティック・ビルバオに3-0)を制覇。前半戦にはスーペルコパ・デ・エスパーニャ/UEFAスーパーカップ/FIFAクラブワールドカップも獲得した。チャンピオンズリーグは準決勝でチェルシーに敗退(2戦合計2-3/カンプノウでメッシがPKを外す悲劇)。
👑 メッシ、73ゴールの怪物シーズン
メッシはこの2011-12に公式戦73ゴール(リーガでも50ゴール)という、いまだ破られない歴代最多記録を樹立。チームの不振を一人で覆い隠すほどの異次元の得点力だった。
主な移籍
IN(加入):セスク・ファブレガス(アーセナル)、アレクシス・サンチェス(ウディネーゼ)。
OUT(退団):ボージャン(ローマ)、ジェフレン(スポルティングCP)、マクスウェル(パリ・サンジェルマン/1月)、マルティン・カセレス(セビージャ)、ガブリエル・ミリート(契約満了)。
※CBはプジョルとマスチェラーノを併用。セスク(4番)も先発上位の一人で、布陣はかなり流動的だった。
⚡ 記憶に残る瞬間
・ベルナベウで3-1の逆転勝ち(2011年12月10日)。開始25秒のベンゼマ弾(クラシコ史上最速ゴール)を浴びながら、すぐに反撃して敵地で勝利。
・一方リーグはカンプ・ノウのクラシコ(2012年4月/1-2)で敗れ、優勝をマドリーに譲った。

ペップ・バルサの最終章。前半は4-3-3、後半はセスクを組み込んだ3-4-3と、最後まで進化を止めなかったのがペップらしかった。横浜のクラブW杯決勝の0トップは本当に芸術的で、現地のサントス相手に「次元が違う」と思わせた一戦だった。それでもリーグはマドリーの勝点100に屈し、CLもカンプノウでメッシがPKを外して敗退…悔しさの残る別れの年。ペップが「もう疲れた」と退任を告げた会見は今でも忘れられない。一つの時代が静かに幕を閉じた、そんな1年だった。
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グアルディオラ3年目の2010-11シーズン。メッシの偽9番が完成形に到達し、ティキ・タカが芸術の域に達した年。多くの識者が「ペップ・バルサの最高到達点」と評する。
成績・タイトル:リーガは勝点96(30勝6分2敗)でレアル・マドリーに4ポイント差をつけ優勝(5月11日確定)。チャンピオンズリーグは決勝(ウェンブリー)でマンチェスター・U に 3-1(ペドロ27分・メッシ54分・ビジャ69分/相手ルーニー34分)と完勝し、3年で2度目の欧州制覇。スーペルコパ・デ・エスパーニャも制覇した。
⚔️ 伝説の「クラシコ4連戦」
リーガ・コパ・デル・レイ決勝・CL準決勝2試合と、モウリーニョ率いるマドリーと18日間で4回激突。コパ・デル・レイ決勝は0-1(延長・C.ロナウド)で敗れたが、CL準決勝を制して決勝の舞台へ進んだ。
主な移籍
IN(加入):ダビド・ビジャ(バレンシア/約4,000万ユーロ)、ハビエル・マスチェラーノ(リバプール)、アドリアーノ(セビージャ)、イブライム・アフェライ(PSV)。
OUT(退団):イブラヒモビッチ(ミランへ期限付き=のち完全移籍)、ヤヤ・トゥーレ(マンチェスター・C)、ティエリ・アンリ(ニューヨーク)、ラファ・マルケス(ニューヨーク)、ドミトロ・チグリンスキー(シャフタールへ復帰)。
戦術:メッシを中央に置く偽9番が極限まで磨かれ、シャビ・イニエスタ・ブスケツの中盤が試合を完全支配。夏に加入したビジャが左、ペドロが右に張り、メッシが中央へ下りて生まれるスペースを突いた。底ではマスチェラーノがアンカーにもCBにも対応し、プジョルが先発を外れた決勝ではピケと組んでCBを務めた(プジョルは終盤に途中出場)。ウェンブリーでのマンU戦は「ティキ・タカの最高到達点」と語り継がれている。
⚡ 記憶に残る瞬間
・5-0の“マニータ”(2010年11月29日・カンプ・ノウ)。シャビ、ペドロ、ビジャ2発、ジェフレンでモウリーニョのマドリーを完封粉砕。
・“クアトロ・クラシコ”:2011年4〜5月の18日間でリーグ・コパ決勝・CL準決勝2戦と4試合連続でマドリーと激突。コパ決勝は落としたが、CLはメッシのベルナベウ独走弾を含む2-0などで突破し決勝へ進んだ。

正直、このシーズンが「史上最強のバルサ」だと思っている。ウェンブリーのマンU戦は、相手が2009年と同じでも内容は前回以上の完勝。ボールが意思を持って動いているようで、見ていて鳥肌が止まらなかった。肝臓手術から復帰したアビダルがプジョルに促されてトロフィーを掲げた瞬間は、本当に涙が出た。モウリーニョのマドリーとのクラシコ4連戦も含めて、濃すぎる一年だった。
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グアルディオラ2年目の2009-10シーズン。夏にエトーとの交換でターゲットマンのイブラヒモビッチを獲得し、前半戦は彼を最前線に置く4-1-2-3が基本だった。両翼にはアンリとメッシ。だがイブラは最前線からのプレスをはじめバルサ流に最後まで完全には馴染めず、メッシとの距離感も噛み合わなかった。
シーズンが進むと布陣は変化。後半戦はメッシを中央に下げる「偽9番」に、両サイドへボージャン・ペドロを配する4-1-1-2型が定番に。4月のベルナベウ(クラシコ2-0勝利)でこの形が結実した。メッシがマークを引き付けることで両翼に広大なスペースが生まれ、台頭著しいペドロが豊富な運動量と決定力で欠かせない存在になっていった。中盤の底(ピボーテ)は前半はトゥレ・ヤヤとブスケツが出場時間を分け合い、後半はブスケツの存在感が日増しに高まって定位置を確保。スタートが遅れたイニエスタの穴はケイタが埋めた。
成績・タイトル:リーガは当時最多の勝点99(31勝6分1敗)でレアル・マドリーに3ポイント差をつけ優勝(5月16日に確定)。さらに2009年8月のスーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップ、12月のFIFAクラブワールドカップを制覇。一方チャンピオンズリーグはモウリーニョ率いるインテルに準決勝で敗退した。
🏆 史上初の6冠(セステュプレ)が完成
前季2008-09のトレブレ(リーガ・コパ・CL)+本季前半の3カップ(スーペルコパ・UEFAスーパーカップ・クラブW杯)で、2009年の暦年に1クラブが6冠——サッカー史上初の偉業を達成した。
主な移籍
IN(加入):ズラタン・イブラヒモビッチ(インテル/エトーとの交換+現金約4,600万ユーロという当時屈指の大型移籍)、マクスウェル(インテル)、ドミトロ・チグリンスキー(シャフタール)、ケイリソン(パルメイラス)。さらにカンテラからペドロとジェフレンが昇格。
OUT(退団):サミュエル・エトー(インテル/イブラとの交換)、シルビーニョ(マンチェスター・C)、エイドゥル・グジョンセン(モナコ)、アレクサンドル・フレブ(シュトゥットガルトへ期限付き)、マルティン・カセレス(ユベントスへ期限付き)、エンリケ(ラシンへ期限付き)。
※最終ラインは右のアウベスが鉄板、セントラルはプジョル・ピケ・マルケスで回し、怪我から復帰のミリートも。左ラテラルはアビダルとマクスウェルで半々だった。終盤はイブラがボージャンに定位置を譲った。
⚡ 記憶に残る瞬間
・イブラヒモビッチの初クラシコ弾(2009年11月29日・カンプ・ノウ/1-0)。カシージャスを射抜くボレーで因縁の一戦を制した。
・クラシコはベルナベウ(2010年4月/0-2)でも勝利し、対マドリー2連勝。

エトーを放出してまで獲ったイブラには夢を見たけど、正直シーズンを通して「良かった」という記憶があまりない。メッシとの相性もいまひとつだった。むしろ後半、メッシが中央に下りてボージャンやペドロが躍動し始めてから一気にチームが活き返った印象。リーガ勝点99の強さは本物。ただCL準決勝でモウリーニョのインテルにやられた悔しさだけは、今も忘れられない。
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ジョゼップ・グアルディオラ就任1年目の2008-09シーズン。バルサは4-3-3を基本布陣に、スペイン勢として史上初の「3冠(トレブレ)」を達成した。
成績・タイトル:リーガは勝点87(27勝6分5敗・105得点)でレアル・マドリーに9ポイント差をつけ、5月16日に優勝を確定。コパ・デル・レイ、そしてチャンピオンズリーグ(決勝ローマでマンチェスター・U に 2-0/エトー10分・メッシ70分)を制覇し、リーガ・コパ・CLの大陸三冠を成し遂げた。
※さらにスーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップを加えた「6冠(セステュプレ)」は、2009年の暦年(2009-10シーズン序盤)に完成した。その詳細は次の2009-10シーズンの項で扱う。
主な移籍
IN(加入):ダニ・アウベス(セビージャ)、ジェラール・ピケ(マンチェスター・U)、セイドゥ・ケイタ(セビージャ)、マルティン・カセレス(ビジャレアル)、アレクサンドル・フレブ(アーセナル)、ジョゼ・M・ピント(セルタ)、エンリケ(パルメイラス)。さらにカンテラからセルヒオ・ブスケツがトップチームへ昇格。
OUT(退団):ロナウジーニョ(ミラン)、デコ(チェルシー)、ジャンルカ・ザンブロッタ(ミラン)、エジミウソン(ビジャレアル)、リリアン・テュラム(現役引退)、ジオバニ・ドス・サントス(トッテナム)、オレゲール(アヤックス)、サンティ・エスケロ(オサスナ)、マルク・クロサス(セルティック)。
グアルディオラがロナウジーニョ・デコら前体制の主力を一掃し、思い切った世代交代に踏み切ったシーズンだった。
戦術:徹底したポゼッションとハイプレス。中盤の底(アンカー)はヤヤ・トゥーレが担い、シーズンを通してカンテラ出身のブスケツも台頭。シャビ・イニエスタが中盤を支配し、両SBのアウベスとアビダルが高い位置を取った。エトーを1トップに、両翼はメッシ(右)とアンリ(左)。シーズン終盤にはメッシが中央へ流れる「偽9番」が出現し、5月のクラシコ(マドリー2-6)やCL決勝で世界に衝撃を与えた。
※上の布陣は最もよく起用されたベストメンバー。2009年のCL決勝(対マンチェスター・U)は満身創痍だった——準決勝チェルシー戦でアウベスとアビダルの両サイドバックがともに出場停止となり、プジョルが右SB・トゥーレ・ヤヤがCBに回って急場をしのいだ。さらにイニエスタとアンリも怪我を押しての出場で、決して万全のメンバーではない中での戴冠だった。
⚡ 記憶に残る瞬間
・イニエスタの“スタンフォード・ブリッジの奇跡”(CL準決勝・2009年5月6日)。アディショナルタイムの劇的弾でチェルシーを退け、アウェーゴールで決勝進出。
・ローマでのCL決勝2-0(2009年5月27日・対マンチェスターU)。エトーとメッシ(ヘッド)が決め、クラブ初のトレブレを完成させた。
・クラシコはベルナベウで2-6(5月)、カンプ・ノウでも2-0と完勝し、対マドリー2連勝。

正直、開幕戦でヌマンシアに0-1で負けたときは「この若い監督で大丈夫か?」と不安だった。それが2008年10月のアトレティコ戦(カンプノウで6-1/前半だけで5-1)あたりを境に、一気に歯車が噛み合った。ハイプレスでボールを奪い、ポゼッションで相手を窒息させる——今に続く“バルサのサッカー”が本当に始まったのはこの年だと、リアルタイムで鳥肌が立ったのを覚えている。
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フランク・ライカールトの最終年となった2007-08シーズン。CL制覇(2006)を頂点に輝いた黄金期も陰りが見え、ロナウジーニョやデコの不振もあって無冠に終わった。だが、この“終わり”が翌季のグアルディオラ革命へとつながっていく。
戦術:基本は4-3-3。前線はエトーを中心に、ロナウジーニョ、夏に加入したアンリ、そして台頭著しいメッシ(当時は背番号19)が枠を争った。中盤はシャビ・デコ・イニエスタに、加入したトゥレ・ヤヤが底を担う形。最終ラインはプジョル・マルケス・ミリート・アビダル・ザンブロッタらで構成した。なおメッシはこの季に主力級へと成長し、翌季からの飛躍を予感させた。
🪑 黄金期の終焉と無冠
リーガはレアル・マドリーに大きく離されて3位、コパは準決勝敗退、チャンピオンズリーグは準決勝でマンチェスター・Uに敗退(2戦合計0-1)。タイトルを獲れず、ライカールト政権は幕を閉じた。クラブは思い切った刷新を決断し、5月8日に後任としてペップ・グアルディオラの就任を発表した。
主な移籍
IN(加入):ティエリ・アンリ(アーセナル/公式戦19ゴール)、ヤヤ・トゥレ(モナコ)、エリック・アビダル(リヨン)、ガブリエル・ミリート(サラゴサ)。
OUT(退団):ロナウジーニョ(このシーズンを最後に翌夏ミラノへ)、ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト、リュドビク・ジュリ、サンティアゴ・エスケロら。リリアン・テュラムはこの季限りで現役引退した。
※10月にはカンテラのボージャンがクラブ史上最年少のリーガ得点記録を樹立。新加入のミリートもCBで好調だった。前線はエトー・ロナウジーニョ・アンリ・メッシと過密で、4人をどう並べるかが最後まで悩みの種だった。
⚡ 記憶に残る瞬間
・クラシコは2戦とも黒星。カンプ・ノウ(2007年12月/0-1)に続き、ベルナベウでは1-4の大敗(2008年5月)。優勝を決めたマドリーの前での屈辱だった。
・一方、10月にはボージャンがクラブ史上最年少のリーガ得点記録を樹立。そして5月、後任にペップ・グアルディオラの就任が発表され、“新時代”への扉が開いた。

大好きだったロナウジーニョの輝きが少しずつ消えていくのを見るのは、正直つらかった。ベルナベウでの1-4は本当に悔しくて、もう限界だと感じた。でも、メッシが確実に主役へと育っていたし、ペップ就任のニュースには「何かが変わる」という大きな期待を抱いた。黄金期の終わりであり、伝説の始まりの直前。今振り返ると、特別な“転換点”のシーズンだった。
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フランク・ライカールト政権4年目の2006-07シーズン。前季にリーガ&チャンピオンズリーグの2冠を達成した黄金期の主力がそのまま残ったが、好不調の波が激しく、メジャータイトルを逃した“停滞”の一年に。エトーとメッシという2人の主力が相次いで長期離脱したことも、戦線が安定しなかった大きな要因だった。
戦術:基本は4-3-3。中盤はエジミウソンを底に、シャビとデコ(時にイニエスタ)が前でゲームを作る形。前線はロナウジーニョ・エトー・メッシの強力トリオだった。だが9月にエトーが右膝の半月板を断裂して約5か月離脱、さらに11月にはメッシが中足骨を骨折。エトー不在の間は、夏にチェルシーから加入したグジョンセンが1トップを務め(②の形)、メッシも欠く時期はジュリやサビオラが右サイドを埋めた。
🔻 メジャー無冠と、ロナウジーニョ得点王
リーガはレアル・マドリーと勝ち点76で並びながら、直接対決(h2h)の差で2位に終わり王座を明け渡した。終盤、カンプ・ノウでエスパニョールに2-2と土壇場で追いつかれた“タムダソ(タムドの一撃)”が大きく響いた。チャンピオンズリーグはベスト16でリバプールにアウェーゴール差で敗退、コパは準決勝敗退。クラブワールドカップ決勝(インテルナシオナルに0-1)とUEFAスーパーカップ(セビージャに0-3)も落とした。ただし開幕前のスーペルコパ(エスパニョールに2戦合計4-0)は制覇。チーム得点王はロナウジーニョ(リーガ21・全公式戦24ゴール)。
主な移籍
IN(加入):エイドゥル・グジョンセン(チェルシー)、ジャンルカ・ザンブロッタ(ユヴェントス)、リリアン・テュラム(ユヴェントス)。
OUT(退団):マルク・ファン・ボメル(バイエルン)、ヘンリク・ラーション(ヘルシンボリへ復帰)。
※エトーとメッシの離脱で前線は流動的に。グジョンセンが献身的に穴を埋め、若きイニエスタ(当時は背番号24)も出場機会を着実に増やした。エトーは復帰後、自身の起用法をめぐって首脳陣と確執も囁かれた。
⚡ 記憶に残る瞬間
・クラシコは2007年3月10日、カンプ・ノウでの3-3。19歳のメッシが、退場者を出して数的不利のなか90分に同点弾を叩き込むハットトリックを達成し、世界を驚かせた(一方ベルナベウでは0-2で敗戦)。
・コパ準決勝のヘタフェ戦(2007年4月18日)では、メッシが自陣付近から複数人を抜き去る“マラドーナの再来”と称された伝説的な独走ゴールを決めた。タイトルこそ逃したが、「メッシの時代」の到来を確かに告げたシーズンだった。

ロナウジーニョのバルサ最後の本当の輝きと、メッシが「ただの若手」から「世界の主役」へ変わっていく瞬間を、同時に見られたシーズン。タイトルを獲れなかったのは悔しかったけど、カンプ・ノウのクラシコでの90分ハットトリックと、ヘタフェ戦のマラドーナ・ゴールは今でもはっきり覚えてる。エトーが怪我で抜けた穴を、グジョンセンが文句も言わず必死に埋めてくれた姿も印象に残っている。黄金期の終わりと、新しい王の誕生が重なった特別な一年だった。
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フランク・ライカールト政権3年目(2005-06)。前季に続くリーガ連覇に加え、14年ぶりとなるチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた、クラブ史に輝く絶頂のシーズン。ロナウジーニョがバロンドール(2004・05年に世界年間最優秀選手)級の輝きを放ち、世界最強のチームと称された。
戦術:基本は4-3-3。前線はロナウジーニョ・エトーに、台頭する18歳のメッシ(当時は背番号30)、さらにジュリやラーションが絡む超強力アタック。中盤は底にファン・ボメル(夏にPSVから加入した守備的MF=ピボーテ)を置き、デコとエジミウソンがインテリオールを担う形。シャビは12月に右膝前十字靭帯を断裂して約5か月離脱(CL決勝もベンチ)し、その不在をイニエスタの台頭が見事に補った。最終ラインは主将プジョルとマルケスが統率した。
🏆 リーガ連覇&14年ぶりの欧州制覇
リーガ(18回目・2連覇)を制し、チャンピオンズリーグでは5月17日のパリ決勝でアーセナルに2-1で逆転勝ち。相手GKレーマンの退場後、先制を許すもエトー(76分)とベレッティ(80分)が連続ゴール(ともに途中出場ラーションのアシスト)で1992年以来・通算2度目の欧州王者に輝いた。スーペルコパ・デ・エスパーニャも制覇。エトーはチーム得点王として大車輪の活躍を見せた。
主な移籍
IN(加入):マルク・ファン・ボメル(PSV/オランダ代表MF)、サンティアゴ・エスケロら。前季のリーガ王者の主軸をそのまま維持した。
OUT(退団):目立つ主力の大型放出はなく、戦力を保って連覇に臨んだ。なおラーションはこのシーズン限りで退団(CL決勝での2アシストが置き土産となった)。
※18歳のメッシはこの季に本格的にブレイクし、11月のクラシコで初出場。だが3月のCLチェルシー戦で負傷し、惜しくもパリの決勝は欠場した。背番号は30で、翌2006-07シーズンから19へと変更している。
⚡ 記憶に残る瞬間
・2005年11月19日、ベルナベウでの0-3。ロナウジーニョが2ゴール(59分・77分)の圧巻のプレーを見せ、敵地マドリーのファンがスタンディングオベーションを送った。これはマラドーナ以来という極めて稀な栄誉だった(メッシの初クラシコでもあった)。
・そしてパリでの欧州制覇。14年ぶりにビッグイヤーを掲げた夜は、バルサが「世界最強」を取り戻した瞬間だった(リーグ戦の再戦はカンプ・ノウで1-1)。

人生で一番「バルサが美しい」と感じたシーズン。ロナウジーニョの魔法は本当に異次元で、ベルナベウのスタオベは敵地ながら鳥肌が止まらなかった。パリの夜、レーマン退場で苦しんだけど、エトーとベレッティが決めて逆転したときは涙が出た。メッシが決勝に間に合わなかったのだけが心残り。でも、これぞ黄金期のバルサ。忘れられない一年だ。
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フランク・ライカールト政権2年目(2004-05)。1998-99以来、実に6年ぶりのリーガ制覇を達成し、長い「無冠の暗黒期」に終止符を打った、黄金期の幕開けのシーズン。夏のエトー加入で前線が完成し、ロナウジーニョはFIFA世界年間最優秀選手(2004)に輝いた。
戦術:基本は4-3-3。前線はロナウジーニョ・エトー・ジュリ(+ラーション)の強力アタック。中盤は底にエジミウソン(ピボーテ)、インテリオールにシャビとデコという理想的な構成。最終ラインは主将プジョルとマルケスが統率し、両サイドをベレッティとファン・ブロンクホルストが務めた。
🏆 6年ぶりのリーガ制覇(無冠脱出)
リーガ(17回目/1998-99以来6年ぶり)を制覇。エトーがリーグ25ゴールで大爆発し、ロナウジーニョとともにチームを牽引した。一方チャンピオンズリーグはベスト16でチェルシーに敗退(第1戦に勝利するも第2戦で逆転負け=2戦合計4-5)。それでも国内リーグでの復権は、続く黄金期の確かな号砲となった。
主な移籍
IN(加入):サミュエル・エトー(マジョルカ)、デコ(ポルト)、ヘンリク・ラーション(セルティック)、ルドビク・ジュリ(モナコ)、エジミウソン(リヨン)、ジュリアーノ・ベレッティ、シルビーニョら。大型補強でチームを一新した。
OUT(退団):リカルド・クアレスマ(ポルト=デコ獲得の一環)、ハビエル・サビオラ(レンタル)、エドガー・ダービッツ(レンタル終了)ら。
※この季、16歳のメッシ(背番号30)がトップチーム初出場(2004年10月、当時クラブ最年少)。さらに2005年5月1日のアルバセテ戦で初ゴールを記録(ロナウジーニョのループパスから決めた伝説の一撃)。後の世界的スターの第一歩がこのシーズンだった。
⚡ 記憶に残る瞬間
・2004年11月20日、カンプ・ノウでのクラシコ3-0。新加入エトーが先制(ロナウジーニョのアシスト)し、宿敵マドリーを完封で退けた(ベルナベウの再戦は2-4で敗戦)。
・そして何より、6年ぶりのリーガ優勝。長く続いた無冠の時代を抜け出し、カンプ・ノウが歓喜に沸いた。ここから黄金期が始まった。

長かった……。優勝から遠ざかった6年間を知っているからこそ、このリーガ制覇は本当に嬉しかった。エトーが来て前線が一気に怖くなって、ロナウジーニョは世界一の選手になった。そして背番号30の小さな子(メッシ)がアルバセテ戦でループを決めた時、「とんでもないのが出てきた」とゾクッとしたのを今でも覚えている。黄金期の幕が、確かに上がった一年。
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フランク・ライカールト政権1年目(2003-04)。夏にロナウジーニョが加入し、黄金期の扉が開いたシーズン。だが船出は最悪で、12月には9位まで沈む低迷ぶり。そこから歴史的な大逆襲を見せ、リーガ2位まで駆け上がった「信じる力」のシーズンとなった。
戦術:基本は4-3-3。前線はロナウジーニョを軸に、クライファートとサビオラが絡む形。中盤は底にコク(ピボーテ)、インテリオールにシャビと、1月にレンタル加入したダービッツ。守備は主将プジョルとマルケスが統率し、GKはバルデス(当時は背番号25)が正守護神として定着した。
🔄 どん底からの大逆襲・リーガ2位
前半戦は低迷し12月に9位まで沈んだが、1月のダービッツ加入を境に17試合無敗(うち14勝)の猛チャージ。最終的に勝ち点72でリーガ2位(王者バレンシアに5差)まで浮上し、5年ぶりのチャンピオンズリーグ出場権を取り戻した。タイトルこそ無冠だが、続く黄金期へ向けた決定的な転換点となった。
主な移籍
IN(加入):ロナウジーニョ(パリSG)、ラファエル・マルケス(モナコ)、ジオバンニ・ファン・ブロンクホルスト、リュシュテュ、キケら。そして1月にエドガー・ダービッツ(ユヴェントス/レンタル)を獲得し、これが大逆襲の引き金となった。
OUT(退団):前体制の主力が整理され、ライカールト体制で新たなチーム作りが進んだ。
※この季、16歳のメッシが親善試合でトップチームに初登場(2003年11月/対ポルト)。公式戦デビューは翌2004-05だが、その片鱗をすでに見せ始めていた。
⚡ 記憶に残る瞬間
・2004年4月25日、ベルナベウでの逆転勝ち(1-2)。ソラーリの先制をクライファートが追いつき、86分にシャビが決勝点(ロナウジーニョの浮き球アシスト)。大逆襲を象徴する一戦だった(12月のカンプ・ノウは1-2で敗れていた)。
・そして、どん底の9位からリーガ2位へ。長い無冠時代の出口を見つけ、黄金期の足音が確かに聞こえ始めた。

正直、前半戦は「また今年もダメか」と本気で落ち込んだ。でもロナウジーニョだけは別格で、彼のプレーだけが希望だった。1月にダービッツが来て中盤に魂が入り、そこからの快進撃は鳥肌もの。ベルナベウでシャビが決めて勝った夜、「バルサが帰ってきた」と確信した。優勝はできなかったけど、黄金期は間違いなくここから始まった。
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ルイス・ファン・ハール第2次政権が崩壊したシーズン(2002-03)。成績は低迷し、1月にファン・ハールを解任(当時12位・残留圏すれすれ)。ラドミル・アンティッチが立て直しを図ったが、最終的にリーガ6位という15年ぶりの低順位に終わった。この惨状こそが、夏のラポルタ会長就任&ロナウジーニョ加入という大revolutionの引き金となる。
戦術:システムは流動的だったが、トップ下に司令塔リケルメを置く4-2-3-1的な布陣。1トップにクライファート、両翼にオーフェルマルスとサビオラ、中盤の底をコクとシャビが組んだ。だがファン・ハールは大金で獲得したリケルメを冷遇し、最後まで噛み合わなかった。最終ラインはプジョルとデ・ブールが統率した。
📉 低迷の6位、しかし欧州では記録的快進撃
リーガは勝ち点56で6位(15年ぶりの低順位)に沈んだ一方、チャンピオンズリーグでは11連勝という大会新記録を樹立しベスト8まで進出(ユヴェントスに延長の末に敗退)。国内の不振と欧州での輝きが同居した、ちぐはぐな一年だった。
主な移籍
IN(加入):フアン・ロマン・リケルメ(ボカ・ジュニアーズ/11月に約1,100万ユーロ)、ロベルト・エンケ(ベンフィカ)ら。大型補強もチームは機能しなかった。
OUT(退団):シーズン後、ファン・ハール体制の崩壊を受けてチームは大きな刷新期へと向かった。
※この季、18歳のイニエスタ(背番号34)がトップチーム公式戦デビュー(2002年10月のCLブルージュ戦)。暗黒期の中で、のちにクラブを背負う若手が静かに産声を上げていた。
⚡ 記憶に残る瞬間
・クラシコは2戦とも引き分け(カンプ・ノウ0-0/ベルナベウ1-1)と精彩を欠いた。だがCLでは11連勝の大会記録を打ち立て、欧州では別チームのような強さを見せた。
・そして何より、この低迷が「革命」を呼んだ。夏にラポルタが会長に就任し、ロナウジーニョを連れてくる――黄金期は、この暗黒のどん底から始まった。

正直、しんどいシーズンだった。リケルメという大好きな選手が来たのに、ファン・ハールが全然使わなくて本当にもどかしかった。リーグは6位で、毎週ため息ばかり。でもCLでの強さは謎の格好良さがあったな。今思えば、このどん底があったからこそ、夏のロナウジーニョ革命の歓びがより大きかった。僕の記憶に残る、バルサの“夜明け前”だ。
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カルレス・レシャック監督のもとで戦った2001-02シーズン。リバウド(1999年バロンドール)のバルサ最後の年であり、黄金期の“前夜”にあたる。チャンピオンズリーグで好走するも、準決勝で宿敵レアル・マドリーに敗退。タイトルは獲れず、チーム再建の必要性がはっきりと浮かび上がった一年だった。
戦術:基本は4-3-3。エースのリバウドが左で自由に振る舞い、1トップにクライファート、加入1年目の10代サビオラやオーフェルマルスが絡む。中盤は底にコク、前にシャビとジェラール。リバウド個人の天才性に多くを託す形で、組織よりも“個の時代”の色が濃かった。最終ラインはデ・ブールと若きプジョルが支えた。
😢 準決勝でマドリーに散る・無冠
リーガは4位(勝ち点64/王者バレンシアに11差)。チャンピオンズリーグは準決勝でレアル・マドリーに2戦合計1-3で敗退(カンプ・ノウ0-2/ベルナベウ1-1)。マドリーはそのまま“ラ・ノベナ(9度目の欧州制覇)”を達成した。さらにコパ・デル・レイは3部のフィゲラスにまさかの敗退という屈辱もあり、無冠に終わった。
主な移籍
IN(加入):ハビエル・サビオラ(リーベル・プレート/当時世界最高の若手の一人)、マルク・オーフェルマルス(アーセナル)、ジェオヴァンニら。
OUT(退団):シーズン後、リバウドがACミランへ移籍(事実上の戦力外通告を経て退団)。チームは大きな世代交代・再建期へと突入する。
※10代のサビオラがリーグ17得点の鮮烈なデビュー。一方、99年バロンドールのリバウドはこの季を最後にクラブを去った。翌2002-03の低迷を経て、2003年夏のラポルタ&ロナウジーニョ革命へとつながっていく。
⚡ 記憶に残る瞬間
・この季はマドリーと公式戦で4度対戦。リーグはベルナベウで0-2、カンプ・ノウで1-1、そしてCL準決勝でも1-3で敗退(ジダンらに沈められた)。徹底的に苦杯を喫した。
・それでも、リバウドの最後の輝きと、10代サビオラ(リーグ17発)の鮮烈な台頭は確かに記憶に残る。黄金期の夜明け前、最後の“個の時代”だった。

リバウドが大好きだった。あの左足の魔法をリアルタイムで見られたのは幸せだったけど、CL準決勝でマドリーに負けた時は本当に悔しくて眠れなかった。コパでまさかの3部に負けたのも忘れられない(笑)。サビオラの若さには未来を感じた。チームとしては限界で「変わらなきゃダメだ」と痛感したシーズン。ここが、僕の記憶の一番奥にあるバルサだ。
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