※本ページの情報は2026年8月時点のものです。若手の状況は短期間で変わります。
ラミネ・ヤマルが10番を背負い、パウ・クバルシが最終ラインに定着した。バルサの下部組織ラ・マシアは、いままた「当たり年」の只中にある。
ではその次に来るのは誰なのか。この記事では、2026-27シーズン時点で名前が挙がっている若手を、確認できた事実だけで整理する。
取り上げるのは「ラ・マシアで育った選手」に限る。外部から獲得した若手は、どれだけ有望でもここでは扱わない。この線引きは、あとで出てくる話にも効いてくる。
※この記事の書き方について
本記事には10代の選手(未成年を含む)が登場します。私生活や家族に関する内容は扱いません。また「確実に成功する」といった断定はしません——若手の評価は数か月で変わるものだからです。情報が確認できなかった選手は、無理に取り上げていません。
いま名前が挙がっている若手
2026-27シーズンに向けて注目されている顔ぶれを、年齢が若い順に並べる。
| 選手 | 年齢 | ポジション | トップでの実績 |
|---|---|---|---|
| エブリマ・トゥンカラ | 16歳 | 攻撃的MF | プレシーズンで起用 |
| トミー・マルケス | 19歳 | 守備的MF | 2026年2月7日にリーガデビュー/2025-26は2試合 |
| マルク・ベルナル | 19歳 | 守備的MF | 背番号22で定着中 |
| エクトル・フォルト | 20歳 | ディフェンダー | レンタルから復帰 |
※年齢は2026年8月時点。トップチームの序列は日々変わるため、あくまで現時点の整理です。
エブリマ・トゥンカラ(16歳/攻撃的MF)
いま最も名前を聞くのがエブリマ・トゥンカラだ。2010年3月10日生まれの攻撃的ミッドフィルダーである。
注目された最大の理由が、2026年のU-17ヨーロッパ選手権で大会最優秀選手に選ばれたことだ。この大会で4アシスト(大会最多)、キーパスは23本を記録している。
この賞は、過去にウェイン・ルーニー、セスク・ファブレガス、トニ・クロースらが受賞してきたものだ。ただし受賞者全員がトップレベルに到達したわけではない——それも同時に押さえておきたい。
プレシーズンではトップチームの試合にも顔を出しており、監督が名前を把握している段階にはある。ただし16歳。ここから先の道のりのほうが長い。
トミー・マルケス(19歳/守備的MF)
2006年10月30日生まれ、身長1.86メートルの守備的ミッドフィルダー。
2026年2月7日のマジョルカ戦で、86分にフェルミン・ロペスと交代してリーガデビューを果たした。2025-26シーズンのトップでの出場は2試合である。
その前年、U-19でUEFAユースリーグを制覇し、契約を延長してバルサ・アトレティックへ昇格した。現在はBチームで背番号14を着けている。
マルク・ベルナル(19歳/守備的MF)
すでにトップチームで背番号22を着けている。2007年5月26日生まれ、身長1.93メートルの守備的ミッドフィルダーだ。
2024年8月17日、17歳84日でリーガデビュー。ところがその10日後に右ひざを負傷し、1年以上を離脱することになった。
復帰後は22番を背負い、トップチームの一員として戦っている。長期離脱から戻ってきた選手という点で、彼のここからは特に見ておきたい。負傷と復帰の歴史はこちらで。

バルカベルナルはデビュー10日後にケガだからね。あのときの「17歳であれだけやれるのか」という驚きを覚えてる人ほど、いまの姿を見ると胸が熱くなると思う。
ラ・マシアからトップへの道筋
若手がトップチームにたどり着くまでには、いくつかの段階がある。
| 段階 | 内容 | 背番号 |
|---|---|---|
| 下部組織(各年代) | U-19などのカテゴリーで戦う | — |
| バルサ・アトレティック(Bチーム) | 下部リーグで大人相手の実戦を積む | — |
| トップの練習に合流 | 主力の一部として練習に参加。負傷者が出ると帯同 | 26番以降 |
| トップチーム正式登録 | 公式戦のメンバーに入る | 1〜25番へ変更 |
ここで効いてくるのがラ・リーガの背番号ルールだ。トップチーム登録の選手は1〜25番しか使えず、下部組織の選手は26番以降と決まっている。
だから若手の背番号が26番以降から1桁〜20番台前半に変わったとき、それは「正式にトップの一員になった」というサインになる。ヤマルは27番から19番へ、クバルシは33番から2番へ、ベルナルは28番から22番へ移っている。
背番号ごとの物語はこちらのハブでどうぞ。


先輩たちは何歳でデビューしたのか
「若手」といっても、実際に何歳でトップに立つものなのか。近年の例を並べてみる。
| 選手 | デビュー日 | デビュー時の年齢 | 相手 |
|---|---|---|---|
| ラミネ・ヤマル | 2023年4月 | 15歳9か月16日 | ベティス |
| パウ・クバルシ | 2024年1月22日 | 17歳になる4日前 | ウニオニスタス(コパ) |
| ガビ | 2021年8月29日 | 17歳24日 | ヘタフェ |
| マルク・ベルナル | 2024年8月17日 | 17歳84日 | バレンシア |
| トミー・マルケス | 2026年2月7日 | 19歳 | マジョルカ |
並べると分かるのは、ヤマルの15歳9か月が突出して早いということだ。ガビ、クバルシ、ベルナルはいずれも17歳でのデビューで、こちらのほうが標準に近い。
つまりいま16歳のトゥンカラは、標準的なペースならまだ1年ほど先ということになる。



「次のヤマル」って言葉、つい使いたくなるけど、15歳9か月でデビューして即戦力になるほうが異常なんだよ。17歳でも十分すぎるほど早い。
比較対象:2010年前後という「異常な当たり年」
いまのラ・マシアを語るとき、どうしても避けて通れない比較対象がある。2010年前後だ。
当時のバルサには、メッシ、シャビ、イニエスタ、ブスケツ、ピケ、プジョル、ペドロ、ビクトル・バルデスが同時にいた。全員がラ・マシアで育った選手である。
記録①:2012年11月25日、先発11人全員がラ・マシア
この時代を象徴するのが2012年11月25日、アウェイのレバンテ戦だ。
この日、監督のティト・ビラノバが送り出した先発は、クラブ史上初めて11人全員がラ・マシア出身という顔ぶれになった。
| ポジション | 選手 |
|---|---|
| GK | ビクトル・バルデス |
| DF | マルティン・モントーヤ/ジェラール・ピケ/カルレス・プジョル/ジョルディ・アルバ |
| MF | セルヒオ・ブスケツ/シャビ/セスク・ファブレガス |
| FW | アンドレス・イニエスタ/ペドロ/リオネル・メッシ |
試合は4-0でバルサの勝利。得点はメッシ2点、イニエスタ、セスクだった。
じつはこの記録、偶然の産物でもある。先発の右サイドバックはラ・マシア出身ではないダニ・アウベスだった。ところが15分に負傷して、モントーヤと交代——その瞬間に、ピッチ上の11人全員がラ・マシア出身になったのだ。



狙ってやったわけじゃなくて、ケガの交代で完成しちゃったっていうのがまた良いんだよね。そんな偶然が起こるくらい、当時は下部組織出身者だらけだった。
記録②:2010年のバロンドール、表彰台を独占
もうひとつが2010年のバロンドールだ。
| 順位 | 選手 | 得票率 |
|---|---|---|
| 1位 | リオネル・メッシ | 22.65% |
| 2位 | アンドレス・イニエスタ | 17.36% |
| 3位 | シャビ | 16.48% |
表彰台の3人全員が、同じクラブの同じ育成組織で育った選手。これはいまだにこの1回しか起きていない。
ただし「全員が生え抜きのまま」ではない
ここは正確に書いておきたい。あの11人のうち何人かは、一度クラブを離れて戻ってきた選手だ。
| 選手 | 経歴 |
|---|---|
| セスク・ファブレガス | ラ・マシア育ち → 16歳でアーセナルへ → 2011年に移籍で復帰 |
| ジェラール・ピケ | ラ・マシア育ち → マンチェスター・ユナイテッドへ → 2008年に移籍で復帰 |
| ジョルディ・アルバ | 幼少期に在籍 → バレンシアへ → 2012年に移籍で復帰 |
つまり「ラ・マシア出身」と「ずっとバルサにいた」はイコールではない。育てた選手を一度手放し、成長してから買い戻す——これも育成組織の使い方のひとつである。
ちなみに現役ではエリック・ガルシアがまったく同じ道をたどっている。ラ・マシアで育ち、マンチェスター・シティへ渡り、2021年にフリーで復帰した。
逆に「ラ・マシア出身ではない」主力もいる
注意したいのが逆のパターンだ。ペドリはラ・マシア出身ではない。
カナリア諸島のラス・パルマスで育ち、2019年にバルサへ移籍(1年はラス・パルマスに残り、2020-21シーズンから合流)した選手である。いまや中盤の中心だが、育てたのはバルサではない。
一方でガビは11歳、フェルミン・ロペスは13歳でラ・マシアに入っており、こちらはバルサが育てた選手と言っていい。



この線引き、意外とややこしいんだよね。「バルサの若手=ラ・マシア出身」と思いがちだけど、ペドリみたいに外から来て中心になる選手もいる。だからこの記事では最初に基準をはっきりさせておいた。
いまと比べてどうなのか
では現在はどうか。数字で並べると、こうなる。
| 2010年前後 | 2026年8月時点 | |
|---|---|---|
| トップの主力にいるラ・マシア出身者 | メッシ、シャビ、イニエスタ、ブスケツ、ピケ、プジョル、ペドロ、バルデスほか | ヤマル、ガビ、クバルシ、フェルミン、カサド、エリック・ガルシア、ベルナルほか ※ペドリは対象外(ラス・パルマス育ち) |
| 象徴的な記録 | 先発11人全員がラ・マシア/バロンドール表彰台独占 | — |
| 評価 | 史上まれに見る当たり年 | 人数では十分に匹敵する |
人数だけで言えば、いまのバルサも決して見劣りしない。フリック監督は多くのアカデミー出身選手にトップデビューを与えてきた。
違うのは「記録」の部分だ。バロンドールの表彰台独占や、先発11人全員がラ・マシアという瞬間は、まだ生まれていない。そこが超えられるかどうかが、いまの世代に問われているとも言える。



2010年前後を知ってると、どうしても比べちゃう。でもあれは異常だったんだよ。いまの世代も十分すごい——それは忘れないようにしたいね。
この黄金期を戦ったチームが1年で6冠を獲った記録はこちらで。


トップに定着できなかった「期待の星」たち
ここまで成功例ばかり並べてきたが、ラ・マシアの本当の姿はそこではない。
「次のメッシ」「次のイニエスタ」と呼ばれながら、バルサでは定着できなかった選手のほうが、実際には圧倒的に多い。その何人かは、いまの若手を見るうえで欠かせない補助線になる。
| 選手 | ポジション | バルサでの成績 | その後 |
|---|---|---|---|
| ボージャン・クルキッチ | FW | 163試合41ゴール(2007〜2011) | ローマ、ミラン、アヤックス、ストーク、ヴィッセル神戸など |
| ジオヴァニ・ドス・サントス | FW | 28試合3ゴール(2007-08) | トッテナム、ビジャレアル、LAギャラクシーなど |
| ジェラール・デウロフェウ | ウイング | 2度の在籍で通算12試合1ゴール | エバートン、ワトフォード、ウディネーゼ |
| セルジ・サンペル | MF | 13試合0ゴール | ヴィッセル神戸、アンドラ、モトル・ルブリンなど |
| マルティン・モントーヤ | 右SB | 45試合1ゴール(2010〜2015) | インテル、バレンシア、ブライトン、ベティスなど |
| マルク・ムニエサ | CB | 4試合0ゴール | ストーク、ジローナ、アル・アラビなど |
| ジョルディ・マシプ | GK | 4試合 | バリャドリー(227試合) |
ボージャン:メッシの記録を破った17歳
この話をするとき、必ず最初に名前が挙がるのがボージャン・クルキッチだ。
2007年9月16日、17歳19日でリーガデビュー。これはメッシが持っていた「リーガ最年少出場」の記録を更新するものだった。さらに同年10月20日のビジャレアル戦で、17歳53日でリーガ初ゴール——こちらもクラブ史上最年少のリーガ得点者という記録になった。
当時の期待は、いまのヤマルに近いものがあった。バルサでの4シーズンで公式戦163試合41ゴール。数字だけ見れば決して失敗ではない。
それでも2011年にローマへ去り、以降はミラン、アヤックス、ストーク、ヴィッセル神戸とクラブを移っていった。「バルサに残る」ことが、いかに難しいか——彼のキャリアはそれを静かに示している。



ボージャンの17歳のころ、本当にすごかったんだよ。「メッシの記録を破った子」って呼ばれてた。あの重さを10代で背負うのは、どれだけ大変だったんだろうと今は思う。
ドス・サントス、デウロフェウ、サンペル
ジオヴァニ・ドス・サントスは2007-08シーズンにトップで28試合3ゴールを記録したあと、翌年トッテナムへ。その後はスペイン、アメリカ、メキシコとキャリアを重ねた。
ジェラール・デウロフェウはさらに複雑だ。2度バルサに在籍しながら、通算の出場は12試合1ゴールにとどまる。だがエバートン、ワトフォード、ウディネーゼでは主力として長くプレーした。「バルサでは出られなかったが、選手としては成功した」典型例である。
セルジ・サンペルは「ブスケツの後継者」と呼ばれながら、トップでの出場は13試合。その後ヴィッセル神戸で107試合に出場し、日本のファンにはむしろこちらのほうが馴染み深いかもしれない。
DFにも、GKにもいる
この話はフォワードや中盤に限らない。守備の選手にも、ゴールキーパーにも、まったく同じことが起きている。
マルティン・モントーヤ——この名前に見覚えがあるはずだ。2012年11月25日、アウベスの負傷で交代出場し、「先発11人全員がラ・マシア」を完成させた右サイドバックである。
クラブ史に残る記録を作った本人でありながら、バルサでの通算は45試合1ゴール。2015年に去り、その後はインテル、バレンシア(54試合)、ブライトン(52試合)、ベティスとキャリアを重ねた。当時の右サイドバックにはダニ・アウベスがいた。それがすべてである。



あの歴史的な11人を完成させたのがモントーヤなんだよ。でも本人はその後バルサに定着できなかった。この対比、ちょっと切なすぎるでしょ。
センターバックではマルク・ムニエサ。2009年5月23日、17歳57日でリーガデビューという早さだったが、その試合で退場している。2012年のプレシーズンには右ひざの前十字靭帯を断裂し、半年を離脱。バルサでの出場は通算4試合にとどまった。その後はストーク、ジローナなどでプレーしている。
そしてゴールキーパーのジョルディ・マシプ。バルサでの出場は4試合だけだった。
だが彼のその後が興味深い。2017年にバリャドリーへ移り、そこで227試合に出場。リーガだけで123試合を戦った。バルサでは第3ゴールキーパーだった選手が、別のクラブでは7年間の正守護神になったのである。
マシプが着けていた25番=第3GKの番号の物語はこちらで。


この話から見えること
4人に共通しているのは、能力が足りなかったわけではないということだ。
バルサのトップチームには、その時々で世界最高クラスの選手が同じポジションにいる。ボージャンの前にはメッシとエトーがいて、サンペルの前にはブスケツ、モントーヤの前にはダニ・アウベス、マシプの前にはバルデスとテア・シュテーゲンがいた。運とタイミングの要素は、実力と同じくらい大きい。
だから「バルサで定着できなかった=失敗した選手」ではない。デウロフェウもサンペルもモントーヤも、別の場所で長いキャリアを築いた。マシプにいたっては、バルサでの4試合に対してバリャドリーで227試合である。



この記事を書いてて一番思ったのがこれ。ラ・マシアの話って成功例ばかり語られるけど、その裏にはこういうキャリアが何十人分もあるんだよね。だから今の若手も、あんまり急かさずに見てあげたい。
「次のヤマル」を探すことの難しさ
最後に、正直なことを書いておきたい。
ラ・マシアからは毎年のように「次の逸材」が現れる。だが全員がトップチームに定着するわけではない。これはバルサに限らず、どのクラブの育成組織でも同じことだ。
トップに上がっても出場機会を得られず他クラブへ移る選手、負傷に苦しむ選手、成長のペースが合わなかった選手——数字に残らない道のほうが、実際には圧倒的に多い。
だからこの記事も「この選手は将来こうなる」とは書かない。書けるのは「いま何歳で、どこまで来ていて、何を成し遂げたか」までだ。そこから先は、これから見ていくしかない。
ラ・マシアという組織そのものの成り立ちや仕組みは、こちらで詳しく解説している。


この組織が過去に送り出してきた顔ぶれの凄みは、こちらのベストイレブンで。


まとめ
- エブリマ・トゥンカラ(16歳)——2026年U-17ヨーロッパ選手権の大会最優秀選手
- 「バルサの若手=ラ・マシア出身」ではない。ペドリはラス・パルマス育ち
- トミー・マルケス(19歳)——2026年2月にリーガデビュー
- マルク・ベルナル(19歳)——長期離脱を経て背番号22で復帰
- 背番号が26番以降から1〜25番へ変わったら、トップ定着のサイン
- 2010年前後は「先発11人全員がラ・マシア」「バロンドール表彰台独占」という異常な当たり年。人数では今の世代も匹敵する
- ボージャンら「定着できなかった期待の星」も多い。実力よりタイミングの要素が大きい
- DF・GKも同じ。2012年の「11人全員ラ・マシア」を完成させたモントーヤも定着できなかった
ヤマルの15歳9か月は例外中の例外で、17歳デビューでも十分に早い。いま名前が挙がっている選手たちも、そのペースで見てあげたい。
現在のトップチームの背番号やスタッツは、選手名鑑でチェックできる。


Visca el Barça!Vamos Blaugrana!!








コメント