バルサの背番号21は、シリーズのなかで最も持ち主が変わらない番号だ。
固定背番号制が始まった1995-96から30年。この番号を着けた選手はたった9人しかいない。しかもルイス・エンリケ(8シーズン)、アドリアーノ(6シーズン)、フレンキー・デ・ヨング(7シーズン目・継続中)の3人だけで21シーズンを占める。
19番が毎年のように主を変え、20番が12人で回してきたのとは対照的だ。21番は「一度渡したら、長く預ける番号」である。
そもそもバルサにとって「21番」とは?
背番号21は、12番以降の「控え番号」帯に属する。バルサの21番を歴史的に見ると、はっきりした傾向がある。守備的MF、サイドバック、ユーティリティプレーヤー——つまり「縁の下の力持ち」に渡されてきた番号だ。
テュラム(CB/右SB)、アドリアーノ(左右SB)、チグリンスキー(CB)、フレブ(MF)がその典型である。だがデ・ヨングだけは違った。彼はこの番号を「補助的な番号」からチームの中心が背負う番号へと一気に引き上げた。
※ラ・リーガで固定背番号制が導入されたのは1995-96シーズンから。それ以前は先発11人が1〜11番を着ける方式で、そもそも12番以降が存在しませんでした。したがって21番に「固定制以前の歴代着用者」は存在しません。
バルサ歴代21番 一覧
30年で9人。全員がこちらだ。
| 着用時期 | 選手名 | 国籍 | ポジション | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1995-96 | ロベルト・プロシネチキ | クロアチア | 攻撃的MF | 21番の初代。翌季は22番へ移り冬に退団 |
| 1996-97〜2003-04 | ルイス・エンリケ | スペイン | MF/FW | 8シーズン。21番の最長記録 |
| 2004-05〜2005-06 | (空位) | — | — | 2シーズン連続で誰も着けず |
| 2006-07〜2007-08 | リリアン・テュラム | フランス | CB/右SB | 1998年W杯優勝メンバー。69試合 |
| 2008-09 | アレクサンドル・フレブ | ベラルーシ | 攻撃的MF | 三冠メンバーだが出場は限定的 |
| 2009-10 | ドミトロ・チグリンスキー | ウクライナ | CB | 約2,500万ユーロ。1年で古巣へ |
| 2010-11〜2015-16 | アドリアーノ・コレイア | ブラジル | 左右SB | 6シーズン189試合。2度の三冠 |
| 2016-17〜2017-18 | アンドレ・ゴメス | ポルトガル | MF | バレンシアから加入。期待に届かず |
| 2018-19 | カルレス・アレニャ | スペイン | MF | 翌季デ・ヨングに譲り19番へ |
| 2019-20〜現在 | フレンキー・デ・ヨング | オランダ | MF | 7シーズン目。現在は主将 |
※記録は各シーズンの登録スカッドで確認(2026年8月時点)。
バルカ9人しかいないって、けっこう衝撃じゃない?20番は同じ期間で12人だったのに。21番は「腰を据える番号」なんだね。
ルイス・エンリケ(1996〜2004):21番を8年背負い、のちに監督として三冠
スペイン代表/MF・FW
8シーズンで355試合123ゴール
21番の歴史で最も長く、そして最も数奇な運命をたどったのがルイス・エンリケだ。
1996年、レアル・マドリードから移籍してきた。当時としても衝撃的な移籍である。しかも彼はレアル時代からすでに21番を着けており、バルサでもその番号を選んだ。
このとき、それまで21番だったプロシネチキは22番へ移っている。ルイス・エンリケに21番を明け渡す形だった。彼はそのシーズンの冬にセビージャへ去っており、21番の初代はわずか1シーズンで番号ごと役目を終えたことになる。22番の物語はこちらで。


加入初年度(ボビー・ロブソン監督)はいきなり17ゴールを挙げ、コパ・デル・レイ、スペイン・スーパーカップ、カップウィナーズカップの3冠を制覇。翌1997-98(ファン・ハール監督)には自己最多の18ゴールでリーガとコパの二冠を達成した。
中盤もフォワードもこなす万能性と、圧倒的な運動量。そして何より闘志。「レアルから来た男」という視線を、彼はプレーで完全にねじ伏せた。最終的にはバルサのキャプテンにまで上り詰め、通算355試合123ゴールを残している。
そして監督として戻ってきた
だが物語はここで終わらない。2014年、彼はバルサの監督として帰ってきた。
初年度の2014-15シーズン、リーガ・コパ・チャンピオンズリーグの三冠を達成。メッシ・スアレス・ネイマールの「MSN」を擁したあのチームである。21番を着けた選手が、監督としてクラブ史上2度目の三冠を成し遂げたのだ。
その後はスペイン代表監督を経て、現在はPSGの監督。2024-25シーズンにはPSGを初のチャンピオンズリーグ制覇へ導いた。21番の系譜は、いまも欧州の頂点で続いている。



レアルから来て、バルサのキャプテンになって、監督として三冠獲って、いまはPSGでCL制覇。ルイス・エンリケのキャリア、改めて並べるとすごすぎるでしょ。
空位の2シーズン(2004〜2006):ライカールト期の空白
ルイス・エンリケが2004年に引退すると、21番は2シーズン連続で空位になった。
この2004-05と2005-06は、バルサにとって復活のシーズンだった。ロナウジーニョとエトーを擁してリーガを連覇し、2005-06にはパリでチャンピオンズリーグを制覇している。
つまり21番は、この黄金期を空席のまま通り過ぎたことになる。8年間背負った選手が去ったあと、しばらく誰も手を伸ばさなかった——番号にもそういう「喪に服す」ような時間があるのかもしれない。
テュラム、フレブ、チグリンスキー(2006〜2010):短命に終わった3人
フランス代表/CB・右SB
1998年W杯優勝。バルサでは69試合
2006年、21番に3年ぶりの主が現れる。リリアン・テュラムだ。
1998年ワールドカップと2000年欧州選手権を制したフランス代表の伝説的ディフェンダー。ユベントスからジャンルカ・ザンブロッタとともに加入した。加入直後のスペイン・スーパーカップを制覇したものの、当時すでに34歳。バルサでの2シーズンは69試合0ゴールで、獲得タイトルはこのスーパーカップにとどまった。2007-08限りで現役を引退している。
「人生最大の後悔」と語ったフレブ
2008-09の21番はアレクサンドル・フレブ。アーセナルから加入したクラブ史上初のベラルーシ人選手だ。
タイミングだけ見れば最高だった。ペップ・グアルディオラ体制初年度、史上初の三冠である。だが開幕2戦目で左足首の靭帯を痛めたこともあり、リーガの先発はわずか5試合、公式戦36試合0ゴール。マンチェスター・ユナイテッドを下したCL決勝では出番すらなかった。
のちに彼は英ガーディアン紙に、「アーセナルを離れてバルサに来たことが人生最大の後悔」と語っている。三冠のメダルを持ちながら、後悔だけが残った21番だった。
カクテルになった男、チグリンスキー
2009-10のドミトロ・チグリンスキーは、クラブ史上初のウクライナ人選手。シャフタール・ドネツクから約2,500万ユーロという大金で加入したセンターバックだった。
しかしプジョルとピケの牙城は厚く、出場は851分のみ。わずか1年で古巣シャフタールへ売り戻された。バルサ史上屈指の期待外れ補強として語られる選手である。
ちなみに加入時、バルセロナ市内の老舗バー「ボアダス」が彼の名を冠したカクテル「エル・チグリンスキー」を作ったという逸話が残っている。ピッチでの記憶より、そちらのほうが長く残ってしまったかもしれない。



ベラルーシ人第1号とウクライナ人第2号が連続で21番。しかもどっちも上手くいかなかった。この2年だけ切り取ると、21番はちょっと呪われてるね。
アドリアーノ・コレイア(2010〜2016):6年で16冠を積み上げた万能屋
ブラジル/左右サイドバック
6シーズン189試合17ゴール・16冠
21番に安定を取り戻したのがアドリアーノ・コレイアだ。
2010年にセビージャから950万ユーロで加入し、チグリンスキーが去って空いた21番を引き継いだ。両足を同じように扱えるのが最大の武器で、左サイドバックを主戦場としつつ右サイドバック、センターバック、ウイング、中盤までこなした。
6シーズンで189試合17ゴール、獲得タイトルは16冠(リーガ4回、コパ3回、チャンピオンズリーグ2回、スペイン・スーパーカップ3回、UEFAスーパーカップ2回、クラブワールドカップ2回)。2010-11と2014-15、2度の三冠すべてに絡んでいる。
主にアビダル、のちにジョルディ・アルバの控えという立場だったが、「誰かが欠けたときに必ず埋められる選手」としてチームに不可欠だった。21番の「縁の下の力持ち」という性格を、最も体現した選手と言っていい。
なお2014-15は開幕前のメディカルチェックで不整脈が見つかり、前半戦の大半を欠場している。それでも復帰してコパを中心に起用され、三冠の一員となった。アルバが背負った18番の物語はこちらで。


アンドレ・ゴメスとカルレス・アレニャ(2016〜2019):つなぎの3年
アドリアーノが去ると、21番はふたたび短期の持ち主が続く。
アンドレ・ゴメス(2016-17〜2017-18)はバレンシアから加入したポルトガル代表MF。バレンシア時代と同じ21番を選んだが、バルサでは自信を欠くプレーが目立ち、46試合3ゴールにとどまった。2018年にエバートンへ移り、翌年完全移籍している。
番号をめぐる、ちょっとした遺恨
2018-19の21番はカルレス・アレニャ。マタロ出身のラ・マシア育ちで、ラフィーニャの長期離脱を受けてトップチームに登録され、空いていた21番を着けた。この年リーガ優勝を経験している。
ところが翌2019年夏、デ・ヨングの加入にともなって21番を譲ることになった。アレニャ自身は19番へ移っている。
このとき彼は「デ・ヨングに21番を渡すのは彼と自分の間の話。クラブが自分に何も言わずに番号を約束したのは、後味が悪かった」という趣旨の不満を公にした。番号は選手にとって、それだけ個人的なものなのだ。アレニャが移った19番の物語はこちらで。


フレンキー・デ・ヨング(2019〜):21番の格を変えた男
オランダ代表/ミッドフィルダー
通算320試合。現在はバルサの主将
そしてフレンキー・デ・ヨングである。21番史上、最も成功した選手だ。
2019年夏、アヤックスから加入。移籍金は7,500万ユーロ+変動分1,100万ユーロ(最大8,600万ユーロ)だった。アヤックス時代から着けていた21番をバルサでも希望し、アレニャが譲る形で実現している。
なぜ21番なのか——祖父ハンスへのオマージュ
デ・ヨングが21番にこだわった理由は、深く個人的なものだった。
彼はオランダ誌フットボール・インターナショナルの取材に、こう答えている。「バルセロナでのお披露目に家族全員を連れて行った。でも父方の祖父ハンス・デ・ヨングだけはいなかった。彼は私の21歳の誕生日に亡くなったんだ。無意識のうちに、これは一種のオマージュでもある。彼は大のサッカーファンだった」。
21番は、21歳の誕生日に亡くなった祖父の番号なのだ。
クライフの14番を、断った
もうひとつ、この番号にまつわる有名なエピソードがある。
報道によれば、バルサは加入時のデ・ヨングにヨハン・クライフの象徴である14番をオファーしたという。オランダ人ミッドフィルダー、アヤックス出身——これ以上ないほど筋の通った提案である。
だがデ・ヨングはこれを断った。クライフと比較されることを避けるためで、「比較する理由はない」と述べたと伝えられている。14番の系譜はこちらで。





クライフの14番を断って、亡くなった祖父の21番を選ぶ。これ、めちゃくちゃ格好いいと思うんだよね。しかも結果的に、その21番を自分の番号にしちゃった。
コクーを抜いた日
デ・ヨングのバルサでのキャリアを象徴する日が、2026年4月22日だ。
セルタ・ビーゴ戦(1-0)に出場し、通算293試合目に到達。フィリップ・コクーの292試合を抜き、オランダ人としてバルサ史上最多出場記録を樹立した。試合後、カンプ・ノウでコクー本人が背番号「293」入りの記念ユニフォームを贈呈している。
オランダ人の出場ランキングは、デ・ヨングに続いてコクー(292)、ロナルド・クーマン(264)、パトリック・クライファート(257)、ミカエル・ライジハー(252)、フランク・デ・ブール(214)。錚々たる顔ぶれの頂点に立ったことになる。
最も輝いた90分:2021年コパ・デル・レイ決勝
個人としての最高のパフォーマンスが、2021年4月17日のコパ・デル・レイ決勝(対アスレティック・ビルバオ、4-0)だ。
デ・ヨングは63分にジョルディ・アルバのクロスをヘディングで叩き込んで2点目。さらにグリーズマンの先制点と、メッシとのワンツーから生まれた3点目にアシストを記録した。1ゴール2アシスト——ESPNは「完璧なパフォーマンス」と評している。クーマン監督にとって初タイトルとなった一戦だった。
そして現在は主将
デ・ヨングは2019年の加入以来、一度も番号を変えていない。バルサ通算320試合22ゴール、リーガ3回・コパ2回・スペイン・スーパーカップ3回を獲得した。
2025年10月には契約を2029年6月30日まで延長し、バイアウト条項は4億から5億ユーロへ引き上げられた。そして2026-27シーズン、彼はバルサの主将を務めている。
補助的な役割の選手に渡されてきた21番が、いまやキャプテンマークとセットになっている。デ・ヨングがこの番号にもたらした変化は、それくらい大きい。キャプテンの系譜はこちらで。


📊 分析:バルサの21番はどんな番号か
①シリーズで最も「回転が遅い」番号
同じ30年間で、番号ごとの着用人数を比べると差は歴然だ。
| 番号 | 着用者数(1995-96以降) | 特徴 |
|---|---|---|
| 21番 | 9人 | 3人で21シーズンを占有 |
| 20番 | 12人 | 空位なし。回転は中程度 |
| 19番 | 20人以上 | シーズン途中の交代が頻発 |
19番が「予感を背負う番号」なら、21番は「腰を据える番号」。一度渡されたら長い、というのがこの番号の性格だ。19番・20番の物語はこちらで。




②外国人比率が非常に高い
9人のうちスペイン人はルイス・エンリケとアレニャの2人だけ。残る7人はクロアチア、フランス、ベラルーシ、ウクライナ、ブラジル、ポルトガル、オランダと、見事にバラバラだ。
しかもクラブ史上初のベラルーシ人(フレブ)と初のウクライナ人(チグリンスキー)が連続して21番という偶然もある。21番は「外から来た選手の番号」という色が濃い。
③三冠との相性は微妙
21番と主要タイトルの関係を並べると、少し切ない結果が出る。
| シーズン | 達成 | そのときの21番 | 貢献度 |
|---|---|---|---|
| 2005-06 | CL制覇 | 空位 | — |
| 2008-09 | 史上初の三冠 | フレブ | リーガ先発5試合、CL決勝は出番なし |
| 2010-11 | CL制覇 | アドリアーノ | 控えとして貢献 |
| 2014-15 | 2度目の三冠 | アドリアーノ | 不整脈で前半戦を欠場、コパ中心 |
21番はクラブが最も輝いた瞬間に、いつも一歩下がった場所にいた。だからこそ、デ・ヨングが主力として、そして主将として21番を背負っている現在は、この番号にとって明確な転換点なのだ。
通信簿:地味な番号が、いま最も注目される番号に
21番の歴史は、正直に言えば当たり外れが大きい。テュラムは晩年、フレブとチグリンスキーとアンドレ・ゴメスは期待に届かなかった。
だがルイス・エンリケ(8年・123ゴール・のちに三冠監督)、アドリアーノ(6年・16冠)、デ・ヨング(7年目・320試合・主将)という3本の柱が、この番号を支えてきた。数は少ないが、当たったときの太さが違う。それが21番だ。
💡 21番の意外な事実
1. 30年で着用者はわずか9人
同じ期間の20番が12人、19番が20人以上であることを考えると、圧倒的に少ない。3人で21シーズンを占めているためだ。
2. ルイス・エンリケはレアル時代も21番だった
1995-96シーズン、レアル・マドリードでも彼は21番を着けていた。番号ごとバルサへ移ってきた形である。
3. 「21番を着けた選手」が監督として三冠を達成
ルイス・エンリケは選手として21番を8シーズン背負い、のちに監督としてバルサに帰還して2014-15の三冠を達成した。さらに2024-25シーズンにはPSGを初のチャンピオンズリーグ制覇へ導いている。
4. デ・ヨングはクライフの14番を断った
オランダ人でアヤックス出身という完璧な条件がそろっていながら、比較を避けるために辞退。代わりに祖父を偲ぶ21番を選んだ。
5. 1998年W杯決勝の得点者2人が、同じ時期にバルサにいた
21番のテュラムは1998年ワールドカップ優勝メンバー。決勝で得点したエマニュエル・ペティもバルサでプレーしているが、彼の番号は17番(2000-01)で、時期も重なっていない。17番の物語はこちらで。


❓ よくある質問
Q. 現在のバルサの21番は誰?
A. フレンキー・デ・ヨング(オランダ代表/ミッドフィルダー)。2019年の加入以来ずっと21番で、2026-27シーズンは主将を務めている。契約は2029年6月30日までだ。
Q. デ・ヨングはなぜ21番なの?
A. 21歳の誕生日に亡くなった祖父ハンス・デ・ヨングへのオマージュ。本人が「無意識のうちに、これは一種のオマージュでもある」と語っている。アヤックス時代から着けていた番号でもある。
Q. 21番で最も成功したのは?
A. フレンキー・デ・ヨング。7シーズンで320試合、リーガ3回・コパ2回・スペイン・スーパーカップ3回を獲得し、オランダ人としてバルサ史上最多出場も記録した。次点はルイス・エンリケで、8シーズンで355試合123ゴール、のちに監督として三冠を達成している。
Q. 21番が空位だったシーズンは?
A. 2004-05と2005-06の2シーズン。ルイス・エンリケの引退後、2年間誰も着けなかった。2005-06のチャンピオンズリーグ制覇を、21番は空席のまま迎えている。
Q. 21番は何人が着けてきたの?
A. 固定背番号制が始まった1995-96以降で9人。同じ期間の20番(12人)や19番(20人以上)と比べても際立って少なく、シリーズで最も持ち主が変わらない番号だ。
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回転の速さが対照的な20番、アドリアーノが支えたアルバの18番もどうぞ。




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現在のチームの背番号やスタッツは、選手名鑑でチェック。


プロシネチキから始まり、ルイス・エンリケが8年背負い、2年の空白を経てアドリアーノが16冠を積み、いまデ・ヨングが主将としてこの番号を着けている。21番は派手ではない。だが、渡された選手はみな長く背負ってきた。信頼の重さが、そのまま年数になって表れる番号だ。
Visca el Barça!Vamos Blaugrana!!





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