※本ページの情報は2026年9月時点のものです。記録はバルサ在籍時(2004〜2021年)の公式戦を対象としています。
2026年8月31日、リオネル・メッシがアルゼンチン代表からの引退を表明した。代表通算176試合106得点。ただし現役を退いたわけではなく、クラブでのプレーは続いている。
このニュースをきっかけに、あらためて整理しておきたいことがある。バルサでの17年間のことだ。
2004年10月にトップチームでデビューし、2021年8月に去るまで。その間に彼は、クラブのほぼすべての記録を書き換えた。この記事では、通算成績・タイトル・記憶に残るゴール・退団の経緯までを、数字と出典つきで振り返る。
バルカ代表引退のニュースを見て、真っ先に思い出したのはやっぱりバルサでのメッシだった。あの17年を、ちゃんと数字で残しておきたい。
数字で見る17年
| 大会 | 出場 | ゴール |
|---|---|---|
| ラ・リーガ | 520 | 474 |
| コパ・デル・レイ | 80 | 56 |
| チャンピオンズリーグ | 149 | 120 |
| その他の公式戦 | 29 | 22 |
| 合計 | 778試合 | 672ゴール |
778試合672ゴール。いずれもクラブ史上最多である。アシストは公式戦通算269、うちラ・リーガでの192アシストはリーグ史上最多だ。
大会別に見ると、ラ・リーガの474得点がリーグ史上最多。チャンピオンズリーグの120得点は、バルサの選手としては歴代最多である。
📌 「CL歴代最多」ではありません
メッシのチャンピオンズリーグ120得点はバルサの選手としての最多記録です。大会そのものの通算最多得点記録とは別の話なので、混同しないようにしてください。
もうひとつ見ておきたいのが出場あたりの得点だ。778試合で672ゴールということは、1試合あたり0.86得点。17年間、ケガも不調も含めた全期間の平均でこの数字である。
※本記事の「公式戦」は、ラ・リーガ/コパ・デル・レイ/チャンピオンズリーグ/スーペルコパ(スペイン)/UEFAスーパーカップ/クラブワールドカップを指します。親善試合は含みません。なお当サイトの「歴代最多出場ランキング」は別の集計元(ゲキサカ)に基づくため767試合と表記しています。本記事はクラブ公式の集計に合わせて778試合としています。
1シーズン73ゴールという異常値
通算の数字以上に異様なのが、2011-12シーズンの73ゴールだ。60試合で73得点——リーガ50、CL14、コパ3、スーペルコパ3、UEFAスーパーカップ1、クラブW杯2という内訳になる。
それまでの欧州1シーズン最多記録は、1972-73年のゲルト・ミュラーの67ゴールだった。リーグ戦だけで50ゴールという数字も、欧州のリーグ史上最多である。
💡 暦年では91ゴール
2012年の1年間(1月〜12月)に決めたゴールは91。こちらもゲルト・ミュラーが持っていた85ゴールを塗り替えた記録で、いまも破られていない。
始まり — ナプキンに書かれた契約
メッシがバルサに来たのは2000年、13歳のとき。家族とともにアルゼンチンから渡ってきた。
10歳のときに成長ホルモン分泌不全と診断され、継続的な注射による治療が必要だった。治療費は月におよそ900〜1,000ドルと報じられている。古巣ニューウェルズも一部を負担したが、家族が長く払い続けられる額ではなかった。
この治療費をクラブが負担する——それがバルサとの契約条件だった。
💡 あのナプキンは、いまどこにあるのか
2000年12月14日、バルセロナのポンペイア・テニスクラブ。カルレス・レシャック(当時のテクニカルディレクター)が紙ナプキンを引き抜き、メッシと契約する旨を書いて署名した。ミンゲージャとガッジョーリの2人も署名している。大きさは16.5cm四方。長年ガッジョーリがアンドラの金庫に保管していたが、2024年にオークションへ出され、76万ポンドを超える額で落札された。
ラ・マシアという育成組織そのものについては、こちらで詳しく解説している。


デビューと初ゴール
| 日付 | 相手 | 詳細 | |
|---|---|---|---|
| トップデビュー | 2004年10月16日 | エスパニョール | 17歳3か月/82分にデコと交代 |
| 公式戦初ゴール | 2005年5月1日 | アルバセテ | 91分/ロナウジーニョのアシスト |
デビュー戦の相手がエスパニョール——つまりバルセロナ・ダービーだったのは、後から思えば出来すぎた縁だった。
💡 初ゴールの3分前に、幻のゴールがあった
アルバセテ戦でメッシがピッチに入ったのは88分。その3分間で、彼は2度ネットを揺らしている。最初の1点はオフサイドで取り消され、91分のものが公式記録に残った。ロナウジーニョが敵陣の裏へふわりと浮かせ、メッシがGKの頭上へさらに浮かせる——という形だった。
このとき17歳331日。当時のクラブ最年少得点記録である。この記録は2019年、16歳304日のアンス・ファティによって塗り替えられた。
その初ゴールの映像も、クラブ公式が公開している。
※FCバルセロナ公式YouTubeチャンネルの動画です。
ちなみにデビューから初ゴールまでは197日かかっている。約6か月半。のちに1シーズン73ゴールを決める選手の出だしとしては、むしろ普通の若手らしいペースだった。
背番号 30 → 19 → 10
| 番号 | 時期 | ひとこと |
|---|---|---|
| 30 | 2004-05〜2005-06 | 下部組織の選手に配られる番号でデビュー |
| 19 | 2006-07〜2007-08 | この2シーズンだけ |
| 10 | 2008-09〜2020-21 | ロナウジーニョの退団を受けて継承。13シーズン連続 |
いきなり10番を与えられたわけではない、というのがメッシのキャリアで見落とされがちな点だ。30番で2年、19番で2年——4シーズンの助走がある。
それぞれの番号の歴史は、専用の記事にまとめてある。19番の記事には、メッシがこの番号で決めたキャリア初ハットトリックの話を詳しく書いた。
💡 10番は、10年間まったく動かなかった
2010-11から2019-20までの10シーズン、バルサの10番は一度も持ち主が変わっていない。ラ・リーガで固定背番号制が始まった1995-96以降、これほど長く同じ選手が持ち続けた番号はほかにない。メッシが去って初めて空いたとき、多くのファンが動揺したのはそのためだ。




記憶に残る4つのゴール
672ゴールから4つだけ選ぶのは無茶な話だが、「どこから走り出して、どう決めたのか」が語り継がれているものを選んだ。
まずは映像から。FCバルセロナ公式チャンネルが公開している、バルサ時代の全ゴール集だ。
※FCバルセロナ公式YouTubeチャンネルの動画です。
① 2007年4月18日 vs ヘタフェ(コパ・デル・レイ準決勝)
28分。自陣の右サイドでシャビからのパスを収めたところから、すべてが始まった。
クラブ公式の記述によれば、メッシはまずパレデスをかわし、続いてナチョを股抜き。そのまま5人を抜き去り、最後はGKルイス・ガルシアの脇を通して押し込んだ。所要時間はおよそ12秒である。
このゴールが語られるとき必ず引き合いに出されるのが、1986年ワールドカップでマラドーナがイングランド戦で決めた2点目——いわゆる「5人抜き」のゴールだ。走り出す位置も、抜いていく経路も、決め方も、驚くほど重なっている。
※走った距離については「55m」「60m」など出典によって数字が分かれるため、本記事では記載していません。なお同じ1986年の試合でマラドーナが決めたもう1点は手を使った得点であり、メッシのこのゴールとは関係がありません。
② 2009年5月27日 vs マンチェスター・ユナイテッド(CL決勝)
ローマでのチャンピオンズリーグ決勝、70分。右からのクロスに頭で合わせて決めた、三冠を決定づけた一撃だ。
💡 本人が「キャリアで一番好きなゴール」に選んでいる
身長169cmの選手が、およそ2.7mの高さのボールに頭で届いた——それだけでも異様なゴールだが、着地の際に片方のシューズが脱げてしまった。祝福の輪の中で、彼はその靴を手に持ったままだった。メッシ本人は後年、このヘディングを自身のキャリアで最も好きなゴールに挙げている。
この2008-09シーズンを含む2009年の6冠については、こちらで詳しく振り返っている。


③ 2015年5月30日 vs アスレティック(コパ・デル・レイ決勝)
20分、右のタッチライン際でボールを持つと、複数の守備者をかわしながら中央へ切れ込み、GKイアゴ・エレリンのニアサイドを射抜いた。試合は3-1でバルサの勝利。メッシはこの日2得点を挙げている。
①のヘタフェ戦と、走り出す位置も切れ込み方もよく似ている。8年空けて、同じことを決勝の舞台でやってのけた形だ。
💡 プスカシュ賞に「あと一歩」だった
このゴールは、その年のFIFAプスカシュ賞(最も美しいゴールに贈られる賞)で次点だった。決勝という舞台、しかも相手は堅守で知られるアスレティック——それでも彼は、同じことを8年前とほぼ同じ形でやってのけた。
④ 2017年4月23日 vs レアル・マドリー(リーガ)
ベルナベウでのクラシコ、2-2で迎えたアディショナルタイム。セルジ・ロベルトが自陣から持ち上がり、ジョルディ・アルバが左から折り返し、メッシが92分に押し込んだ。バルサが3-2で勝った。
この4つのうち、唯一のチームでの崩しである。独走ではなく、味方2人がつないだ先に彼がいた。
💡 あのユニフォームを掲げた場面は、500ゴール目だった
ゴール後、メッシは自分のユニフォームを脱いで、敵地のサポーターに向けて背番号を掲げてみせた。あまりに有名な場面だが、このゴールがクラブ通算500ゴール目だったことは意外と知られていない。節目のゴールが、よりによってアディショナルタイムのクラシコ決勝点だった。
番外:1試合5ゴール
2012年3月7日、チャンピオンズリーグのラウンド16。バイエル・レバークーゼンを相手に7-1と勝った試合で、メッシは1人で5点を決めている。(25分・42分・49分・58分・84分)
チャンピオンズリーグで1試合5得点を記録したのは、これが史上初だった。
※相手はドイツの「バイエル・レバークーゼン」です。バイエルン・ミュンヘンと混同されることがありますが、別のクラブです。
獲得タイトル全記録
| 大会 | 回数 | 獲得年 |
|---|---|---|
| ラ・リーガ | 10 | 04/05, 05/06, 08/09, 09/10, 10/11, 12/13, 14/15, 15/16, 17/18, 18/19 |
| スーペルコパ(スペイン) | 8 | 05/06, 06/07, 09/10, 10/11, 11/12, 13/14, 16/17, 18/19 |
| コパ・デル・レイ | 7 | 08/09, 11/12, 14/15, 15/16, 16/17, 17/18, 20/21 |
| チャンピオンズリーグ | 4 | 05/06, 08/09, 10/11, 14/15 |
| UEFAスーパーカップ | 3 | 09/10, 11/12, 15/16 |
| クラブワールドカップ | 3 | 2009, 2011, 2015 |
| 合計 | 35 | — |
35タイトルは、クラブ史上最多である。2位のイニエスタに3つの差をつけている。
💡 最後のタイトルは、退団の4か月前だった
メッシがバルサで獲った35個目のタイトルは、2021年4月17日のコパ・デル・レイ決勝(対アスレティック)。退団はその4か月後だった。
個人タイトル
| 賞 | バルサ時代の回数 | 受賞年 |
|---|---|---|
| バロンドール | 6回 | 2009, 2010, 2011, 2012, 2015, 2019 |
| ピチーチ(リーガ得点王) | 8回 | 09/10, 11/12, 12/13, 16/17, 17/18, 18/19, 19/20, 20/21 |
| 欧州ゴールデンシュー | 6回 | 09/10, 11/12, 12/13, 16/17, 17/18, 18/19 |
| FIFA最優秀選手(The Best) | 1回 | 2019 |
⚠️ 「バルサで8回」ではありません
メッシのバロンドールは通算8回ですが、バルサ在籍時に獲ったのは6回です。2021年はパリ・サンジェルマン、2023年はインテル・マイアミでの受賞にあたります。
クラブ史のなかでの位置
| 記録 | メッシ | 2位 |
|---|---|---|
| 公式戦 通算得点 | 672 | セサル・ロドリゲス 230 |
| 公式戦 通算出場 | 778 | シャビ 767 |
| タイトル獲得数 | 35 | イニエスタ 32 |
得点の差が異常だ。2位のセサル・ロドリゲス(1939〜1955年在籍)に440点以上の差をつけている。2位の選手をもう2人分足しても、まだ届かないという数字である。
17年で672ゴールということは、単純に割って年平均およそ40ゴール。クラブの歴代2位が17年かけて積んだ数を、メッシは6年ほどで超えていた計算になる。
💡 「2位を2人分」でも足りない
セサル・ロドリゲスの230得点を2人分(460得点)足しても、メッシの672には200点以上届かない。クラブ記録というより、比較の枠組みそのものが成立していない数字である。
歴代の得点王と最多出場のランキングは、それぞれこちらで。




メッシが着ていた各シーズンのユニフォームについては、こちらで年代順にまとめている。


退団 — 契約は合意していた
2021年夏の退団は、通常の移籍とは事情が違った。
クラブと選手本人は契約内容に合意していた。それでも、ラ・リーガの規定と当時のクラブの財務状況のもとでは、登録が成立しなかった。クラブはその旨を公式に発表している。
バルサでの最後の出場は、2021年5月16日のセルタ戦(リーガ第38節)。退団会見が開かれたのは、同年8月8日、カンプノウだった。
こうして、13年間動かなかった10番が空いた。
数字で見る「17年」の重み
メッシが在籍した2004-05から2020-21までの17シーズンで、バルサはリーガを10回、チャンピオンズリーグを4回獲っている。クラブの歴史のなかでも、これだけ勝ち続けた時期はほかにない。
ただし彼が去ったあとのクラブが、その穴をどう埋めるかという課題に長く向き合うことになったのも事実だ。ひとりの選手が17年でここまでクラブの記録を占めると、その退場は単なる戦力の減少では済まなくなる——という話でもある。



あの夏のことは、いまも整理がつかない。ただ、誰が悪かったという話にしても仕方ないとは思う。
そして2026年、代表引退
2026年7月19日のワールドカップ決勝で、アルゼンチンは延長の末にスペインへ0-1で敗れた。決勝点を決めたのは、当時バルサに在籍していたフェラン・トーレスだった。


その約6週間後の2026年8月31日、ロサリオで家族と過ごしたあとにメッシは代表引退を表明した。代表通算176試合106得点。
ただし現役を退いたわけではない。クラブでのプレーは続いている。
2026年のワールドカップの全記録は、こちらにまとめてある。


よくある質問
Q. メッシはバルサでバロンドールを何回獲ったの?
A. 6回です(2009・2010・2011・2012・2015・2019)。メッシのバロンドールは通算8回ですが、2021年はパリ・サンジェルマン、2023年はインテル・マイアミでの受賞にあたります。「バルサで8回」と書かれている記事を見かけたら、それは正確ではありません。
Q. バルサの通算得点で2位は誰?
A. セサル・ロドリゲス(230得点/1939〜1955年在籍)です。近年の選手を挙げる人が多いのですが、2位は戦後すぐの時代に活躍したストライカーです。メッシとの差は440点以上あります。
Q. チャンピオンズリーグの120得点は歴代最多?
A. 「バルサの選手として」の最多です。大会そのものの通算最多得点記録とは別なので、この2つを混同した記述をよく見かけます。注意してください。
Q. 1試合で最も多く決めたのは何点?
A. 5得点です。2012年3月7日、チャンピオンズリーグのバイエル・レバークーゼン戦(7-1)。チャンピオンズリーグ史上初の1試合5得点でした。相手はドイツのバイエル・レバークーゼンで、バイエルン・ミュンヘンではありません。
Q. なぜ30番でデビューしたの?
A. 下部組織の選手に配られる番号だからです。ラ・リーガのトップチーム登録は1〜25番と決まっており、正式登録前の若手は26番以降を着けることになります。メッシもその1人でした。
Q. なぜバルサを去ることになったの?
A. 契約内容には合意していたものの、リーガの規定と当時のクラブの財務状況のもとで登録が成立しなかったためです。本人が移籍を望んで出ていった、という単純な話ではありませんでした。
まとめ
- 公式戦778試合672ゴール269アシスト——すべてクラブ史上最多
- タイトル35個もクラブ最多。うちリーガ10回、チャンピオンズリーグ4回
- バロンドールはバルサ時代に6回(通算8回のうち)
- 1シーズン73ゴール(2011-12)と暦年91ゴール(2012年)は欧州記録
- 背番号は30→19→10。10番は13シーズン連続
- 2位のセサル・ロドリゲスとの得点差は440点以上
- ラ・リーガ474得点・192アシストはいずれもリーグ史上最多
17年間で、彼はクラブのほぼすべての記録を書き換えた。そしてその記録は、いまのところ誰にも近づかれていない。
📚 この記事の数字について
通算成績・タイトル数はFCバルセロナ公式の集計に基づきます。1シーズン73ゴール(2011-12)と暦年91ゴール(2012年)、クラブ通算500ゴール(2017年クラシコ)、チャンピオンズリーグ史上初の1試合5得点(2012年)は各国の報道で確認しました。ナプキン契約の経緯と2024年の落札額は、オークションハウスの公表内容および複数の報道によります。成長ホルモン治療費は月900〜1,000ドルとする報道を採用しました(月500ユーロとする資料もあります)。
ヘタフェ戦(2007年)で走った距離と抜いた人数は、出典によって数字が分かれるため、確認できる範囲を超える数字は記載していません。
Visca el Barça!Vamos Blaugrana!!









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